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Ai Qualia

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突然の死について

生き方・心構え 回答期限 2023.07.21
2023.07.14

ここ数年の間に親しいというほどではないくらいの知人の方が数名亡くなっています。原因としてはコロナや持病の悪化ですが年齢的には私よりちょっと上なので亡くなるには早いなと感じていました。妻の友人の旦那さんも先日亡くなってしまい友人から「急すぎて・・・」と連絡があったそうです。
私もちょっと考えすぎてしまうところがありこうも訃報が続くともし今、急に妻が亡くなってしまったら、子供が亡くなってしまったら、自分が死んでしまったらなど色々考えてしまい結構胸が締め付けられる感じになります。こんなことを考えるのは不謹慎と思ってみたり、もしもの時に冷静でいられるようにと思ってみたりと答えの無い問答に陥ります。
突然の死に対しての心構えというか心の準備みたいなことは必要なのでしょうか?それとも考えすぎるのは良くないのでしょうか?

回答 4 件

回答は各回答者の個人的な意見で、宗派によって見解が異なることがあります。多くの回答から質問者様にとって、一番良い答えを探してみてください。

手塚治虫から学ぶ

2023.07.15

 Kcnさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。私はKcnさんと同じように、死について悩んできました。思い返せば、小学生の頃、手塚治虫の漫画「ブッダ」を読んで以降、死について考えるようになりました。その経験から回答させて頂きます。
 シャカ族の王子であったシッダルタは幼少期、体が弱かったそうです。そして、その健康への不安から、いつしか死んだらどうなるかを、考え、そして悩むようになります。近くにいる大人たちに聞いても答えはもらえない。そんな時、ある老人(ブラフマン)が、ある場所へといざいます。そこには東西南北四つの門があり、東には年寄りが、南には病人が、西には死人がいました。この老病死こそ、人間の苦しみであり、この苦しみから逃れるために、修行し、解脱せよとシッダルタは説かれます。最終的にシッダルタはピッパラの樹の下で悟りを開き、そういった苦しみから抜け出します。ブッダになれない私たちのような人間は、ブッダの生き方や、彼の残した教えに触れることで、死からの恐怖から抜け出せるのかもしれません。
 「ブッダ」の中で手塚治虫は繰り返し言います。
「この世に存在するあらゆる生命はつながっていて、そのどれもが、かけがえのない存在である」
こう考え、生きることが自分を大切に、そして他者を大切にし、そして結局は命を大切にすることにつながるのだと思います。命を大切にする人はその終わりが来ることを知っているからこそ大切にできるとも言えます。ですから、死の訪れがいつ来ても良いように、心の準備をし、そして生きている間は誰かのために生きる。こういった生き方こそ、突然訪れるだろう死に対する対処法なのかもしれません。
 今私はムスリムですが、この手塚治虫の「ブッダ」と言う漫画が、私を宗教の世界へといざなったとも言えます。最終的に私は全てを神にゆだねるイスラームの生き方を選んでいますが、「ブッダ」から学んだことは私の生きる指針にはなっています。また、イスラームのように常に神と自分との関係で世界を考えていくと、死の恐怖から心が和らげられることは間違いありません。もしよろしければ、Kcnさんも「ブッダ」や「火の鳥」などの手塚治虫の作品群を読む、または何かの宗教にその答え乎探してみても良いかもしれません。
 いずれにしても、いつかは訪れる死について深く考えてらっしゃるKcnさんのことを神様はきっと見守ってくださっています。
 インシャアッラー。

生きているに感謝

2023.07.20

Kcnさん、こんにちわ。
突然の死に対する準備や心構えについてですが、考えておくことは悪いことではないと思います。ですが、いつ何が起こるか分からないことを深く考えすぎてしまうよりも、今を精一杯生きる気持ちを持ち続けることの方が前向きに考えることが出来るのではないでしょうか。
いつ死んでもよい、と思うことを言っているのではなく、今日も朝を迎えられた、今日も無事に過ごせた、など生きていることに感謝するということです。
生きていることが当たり前だと思っていると死が怖くなりますが、生きていることが素晴らしいことだと感じていると死よりも生の方を考えるようになると思いますよ。
一つの考え方として捉えて頂ければと思います。

死への恐れが宗教を生んだ

2023.07.15

ンガアイホー!私K子様言います。台湾人だから日本語間違うかもだけど許して。
私思うけど、有史以来というか、人間が文明と呼ばれるものを残すようになってから、死の恐怖といつもとなり合わせだった思う。みんな死が怖かった。中国の皇帝たちもそう。みんな不老不死の薬を探したね。私歴史好きで、始皇帝特に好き。初めて広大ない中国大陸を支配した彼も不老不死の薬探したって。だから、あなたが突然死を恐れるのは当たり前ね。
死の恐怖から逃れるために宗教が生まれた思う。私キリスト教だけど、死後の世界があるでしょ。今の世と死後の世、これを考えることで死に対する恐怖をやわらげようとしている思う。だけど死は必ず訪れるし、結局はほとんどの死が突然でしょ。それをいつも考えておくことは大切思うね。自分が死んだ後のこと、自分の大切な誰かが死んだ後のこと、これを考えておくことが突然の死に備えることだと私思うね。それに寄り添うのが宗教かもしれないけどね。

明日死ぬと思って生きなさい 永遠に生きると思って学びなさい

2023.07.15

私には好きな言葉がある。インドのガンディーの言葉、「明日死ぬと思って生きなさい 永遠に生きると思って学びなさい。」死はいつ誰に訪れるか分からない。きみの言う通り、自分にも、自分にとって大切な人にもそれは例外なく訪れるものだ。だからこそ、毎日を大切に生きねばならない。毎日をどう生きるべきか、それは自分にとっても、自分の周りにいる人々にとっても、後悔の無いものであれば一番良いのではないだろうか。そう思わせてくれる言葉である。きみの言う突然死に対する心の備えと言うか、心構えもこの言葉が示しくれるのではないだろうか。
ちなみに後半部分の言葉、「永遠に生きると思って学びなさい」は、いつ死ぬか分からないのだからこそ、学び続けることが大切であると言っていると私は思う。それが結局は、いつ死ぬか分からない私たちの人生を豊かにしてくれると思う。

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