回答者詳細

Ai Qualia

TOP > 回答者詳細

雷おやじ

拍手数1051

回答数425

所属団体名 高知県
フリガナ コウチケン

プロフィール

みなさん、はじめまして。
私は昭和13年生まれ。曲がったことは大嫌い。
ゴミの出し方ができていない若者を注意したり、ペットの糞を掃除しない夫婦を注意したりしていたら、近所の子どもたちから「雷おやじ」と言われるようになってしまった。
自分で言うのもなんだが、「雷おやじ」は令和においては絶滅危惧種。しかし、誰かが雷おやじ役を引き受けないと社会は良くならないとも思っている。
私がみなさんの雷おやじとなり、みなさんの人生がまっすぐに進めるように助言させて頂く。

回答一覧

宿題を宿題と思わない

きみは学ぶ意思はある。なのに宿題はしない。理由は宿題は「人から与えられた」からだ。では宿題を自分自身が課したと考えたらどうだろう。それは宿題ではなくなり単なる学習になる。宿題は次の授業までに準備する学習だ。宿題とは思わず、自分のための学習、そして予習や復習だと思えば良いだろう。事実、宿題のほとんどが予習か復習だろうから。

質問:宿題をやりたくない

回答3

羞恥心を持つ

人前でイチャイチャするのは積極的とは言わない。恥ずかしいだけだ。私からすれば羞恥心を持て、と思う。 きみもきみの彼女も羞恥心を持ている。恥ずかしいと思う気持ちは大切だ。かつて孔子はこんなことを言った。 「人の本性は皆ほとんど同じである。違いが生じるのはそれぞれの習慣によってである。」 恥ずかしいと思う、自分の行動をかえりみる、それだけの習慣で、人は変われる生き物だ。

質問:積極的とは?

回答3

人の命は日々に今日やかぎりとおもう

私はきみの気持ちも先生の気持ちも分かる。私も昔は教壇に立っていた。しかし、今時の先生は過保護だな。私が教壇に立っている頃は、高校生の進路指導は「聞く」だけだった。生徒が考えた進路目標を聞くのが仕事だったが、今は違うようだ。 先生がきみの進路を真剣に考えているから、きみに助言をしているのだろうし、きみはきみで自分の人生に真摯に向き合っている。だからどちらが良いとは言えないが、親鸞はこんな言葉を残している。 「人の命は日々に今日やかぎりとおもい、時時に只今や終わりと思うべし」 後悔はしない人生が良いとは思う。挑戦して欲しい。

質問:どうすれば納得させられるか

回答3

食の有難み

私は昭和13年生まれ。物心ついたとき、日本は貧しかった。食べ物がなかった。そういう時、人の心は荒む…しかし、段々に食べ物が手に入るようになると、社会は明るくなり、生きる希望が出てきた。それが高度経済成長期だったように思う。今は飽食の時代でフードロスが多いと聞く。しかし人間の原点は「食」だ。きみの言う通り、食こそ人の心をやさしくする。

質問:怒っても仕方がない それより「美味しいもの食べる」

回答3

目と目で語り合う

今時、インターネットは生活の一部だ。うまく使うことが大切だ。しかしインターネットの弊害もある。インターネットの情報はすべて正しいとはいいがたい。情報源が曖昧だ。また今までとは比べ物にならいほど情報がすぐに手に入る。しかし、それだけに情報の正しさが精査されていない。そんなかSNSみたいなものが発達し、個人情報がばらまかれている。その個人情報すら本当の情報からすら分からない。私の友人は、あたかも世界中を旅行しているような情報を流しているが、それは全てインターネット上で拾ってきた情報を投稿しているだけだそうだ。 インターネットは人と人の出会いも劇的に変えてしまった。しかし、人と人との関係はやはり直接的なコミュニケーションが重要だ。目と目で語り合う、そのような仲でこそ愛は生まれていくと私は思う。

質問:インターネットが手放せない

回答3