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Ai Qualia

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雷おやじ

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回答数362

所属団体名 高知県
フリガナ コウチケン

プロフィール

みなさん、はじめまして。
私は昭和13年生まれ。曲がったことは大嫌い。
ゴミの出し方ができていない若者を注意したり、ペットの糞を掃除しない夫婦を注意したりしていたら、近所の子どもたちから「雷おやじ」と言われるようになってしまった。
自分で言うのもなんだが、「雷おやじ」は令和においては絶滅危惧種。しかし、誰かが雷おやじ役を引き受けないと社会は良くならないとも思っている。
私がみなさんの雷おやじとなり、みなさんの人生がまっすぐに進めるように助言させて頂く。

回答一覧

正直に謝るのが一番相手の心に届く

私は正直に謝るのが一番だと思う。昔なら、反省を示すために頭を丸坊主にしたりなんてしたが、そんなことをしても結局は自己満足で意味がない。しおらしくするとか、色々反省を示す行動はあるだろうが結局はそれは「ポーズ」に過ぎない。相手の心に自分の思いが届かなかったら意味がない。 自分の行動を振り返り、悪かったことを相手に正直に謝るのが一番相手の心に届く行動だと私は思う。

質問:挽回する方法

回答3

気の置けない友達

私にも気の置けない友達がいた。本当に数人だったが、今は天国にいる。彼らとの関係を考えると、きみと同じように彼らの不安なことや心配事を私がいつも聞いていた。私は自己開示が下手で、あまり自分のことを話せなかったから、彼らの悩みに自分を投影して、自分の悩みを解決していたように思う。きみもそんなふうに相手の悩みに自己投影してみてはどうだろうか。

質問:悩みを話したくない

回答3

「ちょうどいい」を探る

私は友達付き合いが得意ではない。と、いうか人付き合いが苦手だ。だからきみに適切な助言はできないかもしれないが、社会人としてそれなりに人間関係を築いてきた経験から回答したい。 友達ではない社会的な人間関係で大切なのは、関係を深めすぎず、しかし浅すぎず、ちょうどいいところで付き合うということだ。この「ちょうどいい」は相手によっても変わるし、自分自身の年齢や社会的なポジションなどでも変わってくるので、いつでも一定ではない。また、相手の出方を伺ったり、相手の反応を見たりしながら決まってくる面もある。今回のきみのママ友連中との関係性であれば、今がちょうどいいのではないだろうか。つまり、適度に距離がある関係性だ。きっと彼らではない、違うママ友たちとより深い関係性を築き、彼らとはそこがちょうどいいになるだろう。あまり、距離の開いた今のママ友との関係に固執しないほうが良いと私は思う。

質問:理由がわからない・・・

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自分は正気を保つ

私はイライラして生きてきた。誰かの批評を気にし、他者が自分をどう見るのかいつも気にしていた。しかし、他者がどう感じるのかを制御することはできない。また、他者が自分に対して何かひどい行為をすることを制御することもできない。そうすると、周囲から自分を守るためには。自分自身が正気を保ち、自分自身が正しい行い(または正しいと自分が思う行い)をするしかないと思うようになった。そうすると、他者がどう思おうが、自分は正しいことをやり、正気を保っているので、色々なことを気にしなくなった。 きみのイライラする気持ちはきっと周囲が原因だ。その周囲を取り除くことはできないなら、自分自身が変わるしかない。そして自分自身だけは自分の意志で変えられる。

質問:イライラが止まらない

回答3

晏嬰という生き方

私はおそらく表裏が無い。どんな相手にも間違ったことを間違っていると言える。しかし、そうなったのは60歳に近づこうとする時だったように思う。その時に1冊の小説に出会った。(4巻本だが)「晏子」という小説だ。斉の指導者だった晏弱と晏嬰の話だ。 ある時、斉で男装が流行した。これは斉の君主の妻が男装が好きで流行したのだったが、斉の君主は自分の妻に男装は禁じなかったのに、市中では男装を禁じた。そのため男装がやむことは無かったが、誰も君主にその妻の非行を問いただす者はいなかった。 しかし晏嬰だけが、君主に対してこう言った。 「君のやっている事は牛の頭を看板に使って馬の肉を売っているようなものです。宮廷で禁止すればすぐに流行は終わります。」 このような批判を君主に対して言える晏嬰は表裏が無い。私もこのように生きたいと思い、生き方を、人格を変えた。 しかし、人は普通は周囲に合わせるものだ。それが社会的動物である人間の特徴ともいえる。きみがどちらの生き方を選ぶかは自由だが、表裏の無い生き方をすると、衝突もあるが楽ではある。

質問:仮面を被った偽りの自分

回答3