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Ai Qualia

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ホセイン

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所属団体名 藤沢モスク
フリガナ フジサワモスク
所在地 〒2520807
神奈川県 藤沢市下土棚1745
電話番号 0466-53-9115

プロフィール

イスラームの教えに基いて生活しています。
幸せは心の平安によってもたらされます。
つらいこと、苦しいことをご相談ください。
あなたと共に心の平安を探していきたいと思います。

インシャアッラー。

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邪視除けのお守りをお勧めします

 jackさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。jackさん、大変辛い日々をお過ごしのようですね…「嫉妬(ねたみ)」はキリスト教の7つの大罪の一つであり、私の信仰するイスラームでも嫉妬で他者を苦しめることは禁じられています。ただ「2つの場合を除き羨望は存在しない。アラーが知恵を与え、彼がこれによって支配し、人々を導く場合と、アラーが権力とともに富を与え、彼が正当にこれを用いる場合である。」と、ムハンマドは述べたと言われています。もしかしたらjackさんには神から素晴らしい能力が与えられているのかもしれませんね。その能力については是非大切になさってください。  さて、嫉妬の眼差し、つまり羨望は中東のイスラーム世界では「邪視」と呼ばれています。これはイスラームにおける信仰とは別の、もっと昔からの民間伝承のようなものの一つです。邪視は不運をもたらすと言われています。この邪視は相手方から送られてくるものですから、相手が変わらなければjackさんへの邪視は防ぎようがありません。先述したようにキリスト教においてもイスラームにおいても嫉妬は禁じられていますから、相手が改宗をしてくれれば、それは無くなるでしょうが、そういった邪視をする相手が改宗などしてくれるはずがありません。jackさんはひたすらそれに「耐えてきた」ようですが、それも限界がありますし、不運を呼び起こす邪視に常にさらされているのはかなり辛いことです。  jackさんは、どこかで「青い目」のような飾りを見たことはありますでしょうか?トルコではナザール・ボンジュウ、中東ではハムサなどと呼ばれている邪視除けのお守りがあります。これは宗教に関係なく、イスラム圏でもキリスト教圏(特にギリシア)、ユダヤ教圏(イスラエル)でもお土産屋さんなどで広く売られています。そして、多くの人々がこの邪視除けを車のバックミラーあたりからぶら下げたり、家の中にぶら下げたりしています。私もこの邪視除けを車に長いこと付けています。私がこの邪視除けを信じるようになったのには理由があります。私は邪視除けを10年ほど車につけていたのですが、ある時海外に3年ほど赴任することになり。それを赴任中しまっていました。日本に帰国後、やはりまた運転を始めたのですが、この邪視除けを忘れていてつけていませんでした。すると、今まで事故にあったことは無かったのに、追突事故をもらいました。しかも車を道端に停止し、ハザードランプをつけていた日中に追突されました。この日以来私は再び邪視除けを車につけていますが、事故をもらうこともありませんし、事故を起こしてもいません。もちろん自分が気を付けることが一番大切ですが、いくら気を付けていても事故は巻き込まれる可能性があります。妬みについても同じです。いくらjackさんが素晴らしい方でも相手の悪しき妬みを抑えることは難しいと思います。もちろんハムサでなくても良いと思いますが、何かしらの邪視除けをお付けになることを進めします。  もし日本で適当なものが無ければ、トルコのナザール・ボンジュウであれば私余分を持っていますので、一つ差し上げることができますので、ご連絡ください。  いずれにしても、神から与えられた力をお持ちであろうjackさんは、神からこれからも見守られ続けることでしょう。それも邪視からjackさんを守る力となると思います。  インシャアッラー。

質問:ジェラシー

回答2

ありのままに

 イチさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。コロナ禍での七回忌のご準備大変ですね…そしてご親戚への説明など、色々お悩みのことかと思います。私なりに考えたことを回答させて頂きます。  まず、昨今の情勢を鑑みれば、いちさんが思ってらっしゃることをありのままにご親戚にお伝えして、特に大きな問題が起きるとは思えません。今や「コロナ禍なので○○にします」は殺し文句に等しい力をもっています。今回の七回忌についてもご親戚に、「コロナ禍のため、ごくごく身内のみで七回忌をすませたいと思います。三回忌の際はご出席頂き有り難うございました。また、世の中が安寧になった際、ゆっくりお会いできるのを楽しみにしています」などとお手紙を送ればそれでご理解いただけるのではないでしょうか。もしかしたらご親戚の方々で、「七回忌はいつかな?」とご心配されている方もいらっしゃるでしょうから、お手紙などでご連絡を入れておくほうが相手方にとっても都合は良いかと思います。  コロナ禍の中でも故人をしのぶお気持ちを忘れず、そして周囲にも配慮を忘れないいちさんのことを神様はきっと見守って下さっています。  インシャアッラー。

質問:七回忌について

回答3

心の美しさは外見ににじみ出ます

 snozさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。コテカを知ってらっしゃるだけでも、snozさんのファッションセンスは、かなり高いとお見受けしました。私も若い頃は、自分の服装に自信がなく、私の横を通り過ぎていく人が笑っていると自分が笑われているような気がして、嫌だったことを思い出しました。しかし、現在は気にならなくなりました。そのあたりの経験から回答させて頂きます。  私は「服装に自信が持てない」ということは、「自分に自信が持てない」と同義だと思っています。もし自分に自信があれば、まわりからどのように思われようと、「自分らしさ」を貫くことができると思います。服装で自分の弱さを隠そうとか、自分の自信の無さを補おうとしている時は、どんな服装をしても、やはり少し不安です。ですからsnozさんにお伝えしたいのは、服装よりなにより、まずは自分に自信を持つことが大事だということです。家族を誰よりも大切にしている、誰よりも仕事を頑張っている、など何でも良いと思いますが、自分に自信を持てることがあると、きっと外出しても人の目が気にならなくなるかと思います。  また、私の信じるイスラームでは、ムハンマドがこのような言葉を残しています。 「本当にアッラー(神)はあなた方の体や外見をご覧になるわけではなく、あなた方の心をご覧になっているのです。」(ハディース)  いくら服装できらびやかに装っても、心の中は変わりません。私は心の中の美しさというのは、外ににじみ出ると感じています。それは表情だったり、姿勢だったり、歩き方にあらわれます。そして美しさが外に出てくると、どんな服装であっても、見る人が見ればその美しさに気付きます。  そして私は今、外見を気にしなくなりました。それはアッラーは私のことを見守って下さっていて、そしてアッラーへ絶対的に帰依している自分に自信があるからです。信じるものがあるというのも、自信をもたらしてくれます。  snozさんは、個性豊かな大変面白い方です。是非自分を好きになって下さい。そして自信を持ってください。それが周囲の目からsnozさんを自由にしてくれるはずです。  いずれにしても、自分らしさを大切にしようとなさっているsnozさんを神様はきっと見守って下さっています。  インシャアッラー。

質問:服装について笑われている気がする

回答1

耐えた先に見える未来

 ムッシューさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。私も日々、職場と家の単純往復です。特にコロナ禍となってから、この単純往復に磨きがかかり、毎朝駅まで歩きながら、ムッシューさんと同じように「何で今日も働くのだろう」と悩んでいます。私には趣味もなく、おそらくムッシューさん以上に「つまらない」人生を歩んでいる気がしますが、そんな日々に少しでも生きがいを持ちたいと私も思い、行動してみたことをご紹介したいと思います。  実は人生を「つまらない」と思っている人はムッシューさんと私だけでなく、この世の中の多くの人がそうであり、歴史的な偉人達もいつもこの「つまらない」という気分と戦っていたようです。かの有名なベートーベンは「人間はまじめに生きている限り、必ず不幸や苦しみが降りかかってくるものである。しかし、それを自分の運命として受け止め、辛抱強く我慢し、さらに積極的に力強くその運命と戦えば、いつかは必ず勝利するものである。」と言っています。こういった言葉は私の信じるイスラームのハディースにも書かれており、「勝利は、忍耐と共にあり、安堵は悩みと共に、楽は苦と共にあることを肝に銘じなければならない。」とあります。つまり、日々のつまらなさや苦しみに耐え、毎日を真面目に過ごしていく事が実は将来的な「楽しさ」だったり、「成功」につながるのかもしれないということです。私はこの言葉を信じ、つまらない毎日を何とか耐え凌いでいます。  私が耐えた先の楽しさについて実感していることがあります。私は教育業界におりますが、人を育てることは大変難しい仕事であり、そう簡単には「やった~!」と思うことができません。そしてほぼ毎日、「こんなことをしても意味がないのではないか」とか、「なぜ分かってくれないのか」とか、「正しいことをしているつもりなのに」とか、徒労感でいっぱいです。しかし、そんな日々でも1年に一度だけ無条件に「達成感」を得られる日があります。それは卒業式です。どんなに苦しい日々を過ごしていても、卒業式を迎えると、生徒たちとの思い出は全て昇華され、涙が溢れます。それは生徒の方も同じようであり、ある意味お互いを許し合い、涙します。おそらくこの涙は、「つまらない」と感じている毎日、毎時間、毎分を生徒に対して精いっぱい過ごしていたからこそ感じられると思っています。つまり、ベートーベンもイスラームでも言っているように「日々のつまらなさに真面目に耐えた」からこそ味わえるものだと思っています。先ほど1年に一度と言いましたが、私は中学教員であった頃は大体中学1年生から3年生まで3年間担任を持ちますので、その場合は3年に一度となります。そして私は現在中高一貫校におりますので、6年に一度となるかと思います。それはそれは長いつまらない日々との格闘です。  つまり、人はそうは簡単に「生きがい」を感じ、「毎日楽しい!」とは思えないということです。ただ、そんな日々を毎日一生懸命過ごしていると、実はある時「嬉しさ」を感じることがあったり、「楽しさ」を感じる時がくるということです。それはもしかしたら「死後」に迎えるかもしれません。私たちムスリムは現世をなぜ精いっぱい生きるかと言えば、最後の審判のあとの永遠の日々を楽園で過ごしたいからです。その楽園に行けて、はじめて人は「楽しい」と思えるのかもしれません。  耐えた先に見える未来のために、まずは毎日を真面目に過ごしてみてください。そのつまらない日々の中で、生きがいが見つかったり、楽しさが見つかるかもしれません。  長文になり申し訳ございませんが、いずれにしても人生をより良く過ごそうとなさっているムッシューさんのことを神様はきっと見守って下さっています。(もしかしたら信仰に生きる事こそ、ムッシューさんの生きがいにつながるかもしれません)  インシャアッラー。

質問:生きがいを見つけたい

回答2

いつも心に太陽を

 胡蝶蘭さん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。胡蝶蘭さんはご年齢が30代とのことですが、私も30代の頃、なぜ働くのか、なぜ生きるのか、悩みました。そして日々何となく楽しいこともなく、生きていました。そんな時に私を救ってくれた言葉がありますので、それをご紹介したいと思います。  私などよりも、おそらく生きることが辛く、大変だったであろう三重苦で有名なヘレン・ケラーさんがこんな言葉を残しています。 「いつも太陽の光に顔を向けていなさい。そうすれば影を見なくてすむでしょう。」  私はこの言葉に出会って、はっとしました。前向きな気持ちを持っていさえすれば、実はどんな状況でも、本当は楽しく生きることができるのではないでしょうか。自分が辛い辛いと思うことで、まわりに見えてくる全てが辛く暗く見えてしまうのではないでしょうか。当たり前に思える「生きている」ということですら、「あぁ、今日も生きていてよかった」と前向きに思えたら、寝る瞬間も起きた瞬間も前向きな感謝の思いで生活が始められると思います。何か特別に楽しいことを求めるのではなく、日々過ぎ去っていく「当たり前」をいかに前向きにとらえるかが大切だと、このヘレン・ケラーさんの言葉に出会ってから私は思うようにしています。そういう心持でいるようになってから、日々の生活が明るくなったように思います。  また、私はムスリムですが、コーランにはこのような言葉があります。 「嫌なことこそ、良いことを運んでくれるかもしれない。また、好きなことこそ、悪いことを運んでくれるかもしれない」(雌牛章205)  人生、やはり心持が大切で、ポジティブに切り替えていく事が大切だと思います。また、いつでも太陽の光に顔を向け、神様が見守って下さっていると気持ちが明るくなってきます。実際、私はなけなしのお金を払って(もちろんローンですが)、南向きで日差しが痛いぐらいに当たる家を購入しました。太陽の光に顔を向け、明るく毎日を過ごすようにしています。  当たり前のことをポジティブにとらえ、いつも心に太陽を感じることが、日々の生活に彩を与えてくるのではないでしょうか。  いずれにしても、日々をより良く生きようとなさっている胡蝶蘭さんのことを神様はきっと見守って下さっています。  インシャアッラー。

質問:前向きに生きたい

回答2