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Ai Qualia

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原因不明の深い軋轢

恋愛相談・人間関係 回答期限 2024.05.27
2024.05.20

友人同士に「もう手遅れかな?」というくらいかなり根深い軋轢が生まれてしまっています。
片方は本心を言いませんしもう片方は自分が正しいと信じてあまり他人の話を聞きませんので話せば話すほど拗れます。

他人の気持ちって真には理解できないとは思うのですが私は当人達よりそれぞれの気持ちが分かるような気がしてとても居心地が悪いです。

どちらも悪意があってのことではないですし積み重なったことなのでそもそもの原因もわかりません。

なにか私がしてあげられることはあるのでしょうか。
また私の気が楽になるような考え方はあるのでしょうか。

回答 4 件

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一度原点に戻る

2024.05.22

カダヤシさん、こんにちわ。
友人同士だけで解決させることは難しい問題だと思います。カダヤシさんが二人の間に入る方が良いかもしれませんね。
まず友人お二人に対して別々にお話しを聞いてみてはいかがでしょうか?その内容とは、自身の気持ちです。友人関係を続けたいのか続けたくないのか。
お互いが友人関係を続けたくないと思っているのであれば修復は不可能かもしれませんが、どちらかでも続けたいと思っているのであれば修復出来る可能性はあると思います。
友人だから互いに何を言っても構わないのではなく、友人だからこそ相手を支えられる存在に自分がなろうとする気持ちが大事です。
自分の言動を優先して相手を気遣いできないのであれば、それは友人とは呼べない関係です。
一度原点に戻って、友人関係が始まったきっかけやこれからの接し方などを話し合ってみるのはいかがでしょうか。
亀裂が深くなればなるほど、相手が見えなくなります。相手のことを気遣いできなくなります。そういう状況なのをカダヤシさんが理解した上で二人の溝を埋められるような立ち位置にいてあげられたらいいですね。
一つの考え方として捉えて頂ければと思います。

走れメロス

2024.05.20

ンガアイホー!私K子様言います。台湾人だから日本語間違うかもだけど許して。
私、日本の小説好き。特に明治から昭和初期の小説好き。必ず、人生にとって有益なこと書いてあるから。私「走れメロス」大好き。この本を読んで友達について考えた。私若い頃、友達関係や人間関係で悩んだ。信頼していた友達から裏切られたり、友達だと思っていた人にものを隠されたりした。でも走れメロスをを読んで、本当の友達関係について考えた。それからは、友達と知人の線を自分の中でしっかり持ってる。
あなたの友達も友達と言っていいのかな。知人同士のいざこざじゃないかな。もしあなたにとって知人レベルならそのいざこざに首を突っ込まないほうが良いね。でも、あなたにとって大切な友達同士が問題を抱えてしまっているなら、それを解消してあげてこそ友達だと思う。
「「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若もし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」
 セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯うなずき、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑ほほえみ、
「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」
 メロスは腕に唸うなりをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。
「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。」
 友達ってこういう関係のことだと思うね。

友情とは成長の遅い植物である。

2024.05.20

 カダヤシさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。友人関係、難しいですよね。特に友人同士の間に挟まると、お互いの悪口を聞く羽目になったり、精神衛生上も良くありませんよね。私はそんな時はそれぞれと距離を置くようにしています。私にとっての友人とは、自分が見ていないところで自分のことをよく言ってくれる人だと思っています。ですから、悪口を言ったり、関係が破綻していたりするということは、すでに友人ではないと思います。きっと、カダヤシさんの友人同士も彼らの関係はもはや友人と呼べるものではないと思います。
 私には好きな漫画があります。「キン肉マン」です。小学生の頃、このコミックを何回読み直したか分かりません。今でもたくさんのフレーズを覚えていますが、友人関係についてキン肉マンはこのように言っています。
「友情とは成長の遅い植物である。それが友情という名の花を咲かすまでは、幾度かの試練、困難の打撃を受けて堪えねばならない。」
 上辺だけの友達、友人には直ぐになれます。しかしその関係性は壊れやすいものです。しかし、この壊れやすい関係性は幾多の試練や困難を乗り越えると、強固なものとなり、友情と呼べるものになります。「友情」と呼べるほどの関係を持っている友人は、私にはほんの少ししかいません。学生時代であれば部活動を共にしたり、苦しい旅を共にしたり、やはり苦難を乗り越えてきた友人たちです。社会人になってからの友人とは、大きなプロジェクトや大きな仕事を共に乗り越えてきました。もしかしたらカダヤシさんの友人たちは困難を乗り越えるべき時に至っているのかもしれませんが、「信頼」がそこにすでになければ修復は難しいかと思います。もし信頼が少しでもあるのなら、カダヤシさんが間に立って、お互いの話を聞き、三者で話す場面をつくっても良いかもしれません。
 いずれにしても、本当の友人を求めるカダヤシさんのことを神様はきっと見守ってくださっています。
 インシャアッラー。

友情とは、二つの肉体に宿る一つの魂のことである。

2024.05.20

私にもかつて友がいた。しかし、85歳の今、友はほとんど亡くなった。きみにとって「友」とはどういう定義かは分からないが、きみが抱えている友は、本当に友なのだろうか。
かつてアリストテレスは、「友情とは、二つの肉体に宿る一つの魂のことである。」と述べたとされている。私はこの言葉が好きだ。友情は片思いではなく、両思いでなくてはならない。そう定義すれば、きみの友はきみとは友かもしれないが、きみの友同士ではすでに友ではない。もしきみができるとすれば、友同士のわだかまりを取り除くことだろうが、大人同士であれば難しいだろう。きみ自身も、彼らとの関係が本当の友と呼べるものか再考してみても良いかもしれない。

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