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心の持ち方

恋愛相談・人間関係 回答期限 2023.08.27
2023.08.20

普段から持っておくべき「心の持ち方」を教えて下さい。

周りの言葉に、感情が惑わされてしまう事が多く、一喜一憂してしまいます。
そして、時には言い過ぎてしまったりと。
「口は災いの元だ…」とその度落ち込みます。
いつでも平常心!と思うのですが、なかなか出来なくて悩んでいます。
ご回答をお願い致します。

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回答 4 件

回答は各回答者の個人的な意見で、宗派によって見解が異なることがあります。多くの回答から質問者様にとって、一番良い答えを探してみてください。

アッラーは全てにおいて善行を命じられた

2023.08.20

 レモンさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。レモンさんのお気持ちよく分かります。私も、イスラームを信仰する前は、周りの言葉や周りからどう見られるかに苛まれ、上辺だけ取り繕うような人間でした。しかし、今は神との関係を何よりも大切に、そして神の言葉を何よりも大切に生きています。そうすることで、周りからの言葉などには惑わされることが無くなりました。
 神の聖なる言葉を記したクルアーンにこのような一節があります。
「アッラーは全てにおいて善行を命じられた。ゆえに殺生する時にはよい殺生をし、屠殺する時にもよい屠殺をせよ。刃物を研ぎ、犠牲を安楽にさせよ。」
 神は、人間に対するだけでなく、動物に対しても、善い行いをするように命じています。その動物に対しての部分は少し置いておきまして、この「善行」の一節において、神は人々にそれを命じたというより、望んでいると言われています。そしてイスラーム的文脈から言うと、定命に対する忍耐における「善行」は、憤りや動揺を伴わない忍耐をすることであり、他者との付き合いにおける「善行」は、神によって定められた彼らの権利を守ることであるとされています。他者から惑いの言葉があったとしても、それでもあなたは他者に思いやりを持たねばなりません。神はあなたの善行を望んでいるからです。そしてその善行を通して、あなたは一歩ずつ天国へと近づいているのです。神との関係にあなたの惑う心をゆだね、そしてただひたすらに善行を施していきましょう。そうすれば、あなたの心にも平安が、そして周囲からもあなたの行動に信頼がもたらされると思います。
 いずれにしても、自分の心の平静を保とうとなさっているレモンさんのことを神様はきっと見守ってくださっています。
 インシャアッラー。

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心の使い方として

2023.08.21

レモンさん、こんにちわ。
常に平常心・・・私も感情的になったりすることはよくあります。
その度に反省することは多々あり、私も同じかもしれません。
そんな私ですが、心の持ち方として気を付けたいと私自身が感じていることをお話しさせて頂きますね。
感情を無理に閉じ込めて平常心でいることがけして良いことではないと思ってます。
確かに感情に左右される位に不安定であったら色々な場面で支障が出ることもあるとは思いますが、心の持ち方としては自分の感情を相手を攻撃する武器にしないことだと思います。自分を守ろうとすることも結果、相手を攻撃することになったりすることもあるので感情で自分を守ろうとすることも良くない時もあります。
相手に喜んでもらえるような心の使い方を意識してみることかな、と思います。
質問の内容に対する回答になっていないかもしれませんが、心の使い方を自分のためだけではなく、周りのために使うことが出来れば良いのではないでしょうか。
一つの考え方として捉えて頂ければと思います。

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正直は一生の宝

2023.08.20

ンガアイホー!私K子様言います。台湾人だから日本語間違うかもだけど許して。
私はアミ族だけど、パイワン族の長老と話をしたことを思い出したよ。その長老は日本統治時代に日本人として警察官をしていた人。奥さんはルカイ族の人だったね。違う部族の人と結婚するは昔珍しかったから、かなり周囲からも反対されたみたい。そんな時彼が周囲から信頼されるために大切にしたのは、正直に生きるということだったと言っていた。正直は一生の宝、と日本語で言っていたよ。正直に生きると周りが信用してくれるのはもちろんのこと、自分自身の心持も良くなるんだって。だからあなたも周囲の言葉に惑わされることなく、正直は一生の宝でも良いし、自分自身の軸を大切にしてい来たらどうかな。自分の軸がぶれないと、自信を持って生きることができるね。そうすると正直に生きられるし、周囲の言葉や視線から解放される思うよ。

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回心というは 自力の心を ひるがえしすつるをいうなり

2023.08.20

きみの言うことはよく分かる。特に若い頃は、周りの言葉や、周りからどう見られるかに悩まされる。しかし心配することは無い。私は最近、親鸞の本をよく読むのだが、死後1000年も彼の教えである浄土真宗は残っているにもかかわらず、生前の彼は相当自分の煩悩に苦しんだ。
「定水を凝すと雖も識浪頻に動き、心月を観ずと雖も妄雲猶覆う、而るに一息追がざれば千載に長く往く、何ぞ浮生の交衆を貪って徒に仮名の修学に疲れん、須らく勢利を抛って直に出離をねがうべし。」
という言葉が歎徳文(たんどくもん)に記されている。
自分の欲望は次から次へと生まれてくる。悟りを得ようとも、煩悩に妨げられる。世間の付き合いに振り回されていては駄目だ。一切の俗念を振り払い、旅に出なくては…と、比叡山を下りて、親鸞は全てを捨てて仏の真の道を求道したのだ。
親鸞のような人物ですら煩悩に苛まれ、そして週に惑わされてしまい、時には無用に相手を論破してしまう。しかし、親鸞はこうも言っている。
「回心というは 自力の心を ひるがえしすつるをいうなり」
今はつまらない心だけども、努力すればきっと立派な心になることができる、そうすれば真の進行に入ることができる、というような意味だと私は思う。きみのように自分の行動をしっかり自省できていればきっといつか立派な心になるはずだ。自省し、そして人への思いやりを忘れずにこれからも生きていって欲しい。

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