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Ai Qualia

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お寺との付き合い方に悩んでいます。

恋愛相談・人間関係 回答期限 2022.01.10
2022.01.03

数年前に友人関係をきっかけに、あるお寺(新興ではなく古来からある仏教宗派です)のご住職と知り合い、そこからそのお寺へ出かけるようになりました。

ところがその後に、ご住職が病気のために遷化され、ご住職の奥様がお寺を守っていくことになりました。


奥様は、人の好き嫌いが激しく、ご住職がせっかく広げてきた地域の人の輪を、自分の好きな人と嫌いな人に分けようとする傾向があります。

好き嫌いは誰にでもあるものですが、しかしながらお寺に行けば、奥様が嫌う人の文句やもらった物のケチをつけたり、行いについて至らない事を挙げ連ねたり、そのようなことをたくさん聞かされ、とても嫌な気持ちになります。

私も裏で文句言われてるのでは?と心配が絶えませんし、貢献している人のことを思うと胸が締め付けられる思いです。

この奥様がいるお寺にお供えやお礼でお金をかけるのは、経済的にきびしい私には精神的にとても疲れてしまいます。

また、行事への参加や、お寺への貢献が少ないと、その分、対応が明らかに冷たくなります。


私は元々、どの宗教にもそれほど気持ちが傾いてはいませんでしたが、ご住職を住職としてではなく、人として尊敬していたからこそ、お寺にも行くことができましたし、つないでくれた人たちとの今の関係も切りたくありません。周りの人たちも本当に素晴らしい人ばかりで、私もいろいろ助けてもらっています。

お寺のいくつかの企画に関わっていることもあり、気持ちは複雑です。でも可能であれば関係を解消した方がいいのかなと思うこともあります。


正直、お寺というよりは、この奥様との関係に疲れてしまいました。どのような考え方を持てば良いのか悩んでいます。

こんなことを述べるのは、もしかしたら私が我儘なのでしょうか?

回答 2 件

回答は各回答者の個人的な意見で、宗派によって見解が異なることがあります。多くの回答から質問者様にとって、一番良い答えを探してみてください。

誰のための信仰なのか

2022.01.04

 みすみびとさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。クッルアーミン ワ アントゥムビハイル(アラビア語で明けましておめでとう)!色々あった2021年が終わり、新年が始まりました。みすみびとさんにとって素敵な一年になることを祈念しております。
 さて、みすみびとさん、素敵な住職さんと出会えて大変素晴らしいですね。人との出会いこそ人生において大切なことだと思いますが、尊敬できる人に出会えることは本当に稀です。この出会いを大切になさってください。
 しかし折角素晴らしい住職さんと出会えたにも関わらず、残念な奥様がいらっしゃるとのこと、、、特に自分の好き嫌いによって信徒の方々に分断を生んでしまっていることは大きな問題ですね。そして奥様のせいで、みすみびとさんの信仰心が萎えてしまったという状況のようですね。
 私がご助言したいのは、ぜひ住職様との関係を大切になさって欲しいということです。奥様を除くお寺の方々も大変素敵な方々のようです。このような幸運は中々あることではありません。奥様の心持ちや態度を変えるのは中々難しいでしょうが、みすみびとさんをはじめとした周りの皆様が正しい行いをなさっていれば、少しずつ変化もあるかもしれません。また変化がないとしても、私としては、奥様という小さな不幸より、住職様達との大きな幸せこそ人生において重要なものだと確信致します。
 私の信仰するイスラームにおいては、ムハンマドがこのような言葉を残しています。
「アッラーを念ずれば、お前は眼の前にアッラーを見ることができる。
繁栄のおりにもアッラーに近づこうとすれば、アッラーはお前が未だに苦境にあると認めて下さるであろう。
いいか、お前に降りかかったことは、お前を苦しめるためのものではなかったし、お前を苦しめたことは、お前に降りかかるためのものでもなかったのだ。
勝利は、忍耐と共にあり、安堵は悩みと共に、楽は苦と共にあることを肝に銘じなければならない。」
 自分が信じるものに近づくには、多少の苦難を伴います。この苦難を乗り越えてこそ、楽しい人生が見えてくるのではないでしょうか。そして、信仰はあくまであなたと神様(みすみびとさんにとっては、住職様かもしれません)との関係であり、まわりの余計なものとの関係ではありません。誰のためでもなく、あなたのために信仰心を大切になさってください。
 いずれにしても、自分の信じるものに出会えたみすみびとさんのことを、神様はきっと見守ってくださっています。
 インシャアッラー。

質問者 みすみびと

2022.01.04

ホセイン様、私の個人的な質問に、心のこもった素晴らしいご返信をくださり有難うございます。

このような相談はなかなか理解していただく機会がなく、ましてやお寺に近い人に相談するのも複雑なものがありましたから、エイアイクオリア様がこのようなコミュニティを作っておられたことはとても幸運でした。

周りの方のことを常に思いながらであれば、私の気持ちが少しは楽になれるかもしれません。悩んだ時には、ホセイン様のこの文章を読み返し、思い出しながら過ごしていきたいと思います。心より感謝いたします。

置き換えてみる

2022.01.05

みすみびとさん、こんにちわ。
私は仏教ではなく、神道を信仰していますが、お寺と同じように信者さんが集まり神様を祀っている教会(私の宗教では神社と呼ばない)という場所があります。
その教会には教会長と呼ばれる住職さんと同じような方がおります。
教会長さんが亡くなったことで信者さんが来なくなったという方もあると思います。
ですが、信仰とは人ではなく、仏様や神様の教えが根本にあるはずです。
みすみびとさんのように住職さんを人として尊敬しているというのも、住職として仏教の教えを体現し素晴らしい方だと感じたからだと思うのです。
住職さんを尊敬する気持ちを、仏教の教えを信仰する、という気持ちにそのまま置き換えて良いのではないでしょうか。
周りの素晴らしい方々もきっとそうだと思いますし、住職さんもそれを一番に望まれていると思います。
いずれにしても、生き方や考え方に影響を与えてくださり、尊敬出来る住職さんのような方がいるのは幸せなことだと思います。
人を幸せにするために宗教は存在すると思ってます。
仏教のことはよく分かりませんが、こんな時にどう考えるべきか仏教の教えにも必ずあると思います。
是非一つの考え方として捉えて頂ければと思います。

質問者 みすみびと

2022.01.06

上田様、このたびはご返信くださいましたこと心より感謝申し上げます。少し気になるところを言わせていただくと、

「信仰するという気持ちにそのまま置き換えて、、」というのは私にはよく分かりません。

私はあくまで、皆様とつないでくださったご住職の輝きが感じられるから、そのエネルギーでお寺に行くことができるだけなのです。それもこれも全ては集まっておられる皆様が守っているものなのです。

そこに仏教を信仰する気持ちが持てるのかというと、私はよく分からないです。このまま良いように時間とお金を使わされる以上、私にも皆様にも限界があります。

今、お寺が活動していけるのも、ご住職という「人」が持つエネルギーというかオーラのようなものが残っているからです。

私は、信仰心は「上にいる何者か」に尽くす心ではないと思います。「人」の中に本来備わっているものを光らせることが仏教でいう「信仰」だと考えています。

それをご住職のエネルギーが見守っておられると皆が感じるのでしょう。

しかしながら残念なことに、少しずつ集まる人が減っています。やはり輝きを誰かが曇らせてしまうからです。

申し訳ありませんが、信仰心に置き換えたからといって、お寺に行き続けられるかは、私は自信がありません。

ただ、集まる皆様の気持ちを、私なりに見守っていければ、せめてものご住職のご供養になるかと思います。ごめんなさい。

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