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家庭内での病人の存在?

生き方・心構え 回答期限 2021.11.12
2021.11.09

何処までの話しを聞いたほいがいいのか?
私はどこまでやればいいのか?許容範囲がよくわかりません。

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回答 3 件

回答は各回答者の個人的な意見で、宗派によって見解が異なることがあります。多くの回答から質問者様にとって、一番良い答えを探してみてください。

無理せずできる範囲って人それぞれ...

2021.11.09

あずきさんこんにちは
私は高齢者向け相談所で相談員をしています。
何処まで話を聞いて、どこまでやらなければならないのかという質問は、高齢者を親に持つ方からのご相談が多いので、その観点からお答え致します。但し、あるケアマネ―ジャーさんの経験を元にお話させていただきます。
認知症の入ったご高齢の方は何度も同じ話をします。それはご存知だと思います。
「それはもう何回も聞いたよ」と返してしまいがちですが、同じ話なら聞いてるフリでも良い、とのこと。
高齢になると話相手も少なくなることから、話を聞いてもらいたい、話をしたい、という単純で簡単なことだそうです。
「忙しくて時間がないから」「もう何回も聞いたから」と突っぱねてしまうと相手は落ち込んでしまいます。
そしてその冷たくされたことは覚えていることが多いんですよね...
逆に「何時までだけど少し話しようか」と自分から話かけると喜びます。
そして時間の設定もしているので途中で話を切ってもそこまで悪い気持ちにはならないそうですよ。

どこまでやればいいのか、許容範囲がわからない
これについては極力手を貸さないことだそうです。なるべく自分でやらせて、動いてもらいましょう。
人は楽を覚えると動かなくなります。しかし高齢者は日に日に筋力が劣り動けなくなるので、なるべく自分できることは自分でやってもらいましょう。
どうしてもできないところや危険なことは手伝ったり、手を貸したりする程度で良いとのこと。
多くの人が同じ道を辿ります。自分だったらどのように接してもらいたいですかね。考えさせられます。

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質問者 あずき

2021.11.11

有難うございます。
同じ言葉さっきもきいたばかりだよとさえぎることがちあります。あ、いけないなと思いつつ。相手をおもうこてが大切ですね。

適度に寄り添う

2021.11.09

 あずきさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。私も病を抱えた祖母と同居していました。私は両親が働いていましたので、祖母のお風呂やトイレの世話、そして日常の介護を手伝っていました。(今、考えるとヤングケアラーだったと思います。その経験から回答させて頂きます。
 私は看護や介護で大切なのは寄り添うことだと思います。相手が話をしたいのであれば聞いてやり、食事をしたいのであれば食べさせてやり、とにかく相手のやりたいことに寄り添うことが相手の幸せにつながると思います。
 しかし、相手が幸せになることと看護または介護者の幸せはきれいに反比例します。私自身そうでしたが、相手からの要求にヘトヘトになっていました。特に深夜に大声で呼びつけられるのが辛かったです、、、睡眠不足がつのり、祖母に辛く当たってしまったこともあります。
 ただ中学生ぐらいだった私が気づいたのは、「適当に寄り添う」ことがお互いにとって良いということです。適当とは、でたらめという意味ではなく、本当に相手と自分にとって適度という意味です。相手が話したい時、こちらは全て聞いてあげている時間はありません。例えば、「宿題しながら聞くね」などはじめに断りをいれてからやれば、相手の気分も害しません。全て真っ正直に寄り添うのではなく、適度に寄り添うことが看護や介護という終わりの見えない仕事においては長続きするコツではないでしょうか?
 そんな私の祖母は私の20歳の誕生日に亡くなりました。ご飯をたべながら、気づくと亡くなっていました。ご飯が好きな祖母でしたから、やりたいことをやりながら亡くなり、本望だったのではないかと思います。
 いずれにしても相手に対するおもいやりに溢れるあずきさんのことを、神様はきっと見守ってくださっています。
 インシャアッラー。

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自分本位にならないこと

2021.11.11

あずきさん、こんにちわ。
相談の内容を理解出来たわけではありませんので、状況と違う話になってしまうかもしれませんが、病気を患っている方との距離感について、でお話しさせて頂きます。
あずきさんはお医者さんですか?もし医者では無いとしたら、病気の方に対して診察も処置も出来ませんよね。
しかし、話を聞くことや話をすることは出来ます。
私の信仰している宗教では、病気や悩みで苦しんでいる方が居たら、その方の話を聞くことと神様の話をすること、を人助けの実践だと考えております。
神様の話と聞くと、勧誘のような話?と感じるかもしれませんが、そうではなく病気や悩みに対して神様からのメッセージを代弁するというイメージです。代弁といっても神様が私に語りかけてきた言葉を発するのではなく、信仰の中で学んだ考え方や経験などから神様のメッセージを受け取りお話しさせて頂く、ということです。
距離感が凄く大事であり、一方的な会話にならないようにしなければいけませんし、神様を信じなさい、のような強制的な押し付け会話もしないように気を付けています。
病気や悩みを持った方と接するときには、心に寄り添ってあげることが大事だと私は思います。
相手の心の領域に入り込めばいいということではなく、相手が望んでいることや喜んでくださるようなことを意識してみると良いと思います。
具体性もなくイメージしにくい回答になってしまいましたが、自分本位に接しようとしないことだと私は思います。
一つの考え方として捉えて頂ければと思います。

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質問者 あずき

2021.11.11

有難うございます。
自分なりに考えて接していきたいとおもいます

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