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Ai Qualia

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利他的になれない

生き方・心構え 回答期限 2024.08.10
2024.07.11

私の悩みは、自分が利他的に物事を考えられないこと、利他の精神になれないことです。
私は自分自身のことを第一に考える傾向が強く、無意識に自分の利益や自分の立場を最優先にしてしまいます。
例えば、友人との約束で少しでも自分に不利な条件があると、すぐに嫌な気持ちになり、他人のために何かをするときも、自分に何か利益があるかどうかを最初に考えてしまいます。
また、他人の視点や立場から物事を考えることが難しく、他人が困っている時でも、自分が直接関わりがなければ無関心になってしまいます。
自分の行動や思考が自己中心的であることを理解しているのですが、それをどのように改善すれば良いのか分からず、頭を悩ませています。
利他的な思考ができる人を見ると、その人たちはどのようにしてそのような視点を持つことができるのか、とても羨ましく感じます。
自分の思考や行動を見直し、他人に対してもっと思いやりのある態度を持つことができるようになりたいと考えています。
利他的に物事を考えられるようになるための方法や、他人の視点を理解するための具体的なアドバイス、
または自分自身の自己中心的な思考を改善するためのヒントなど、何でも構いませんので教えていただけないでしょうか。
どうぞよろしくお願いします。

回答 4 件

回答は各回答者の個人的な意見で、宗派によって見解が異なることがあります。多くの回答から質問者様にとって、一番良い答えを探してみてください。

巡りめぐって返ってくる

2024.07.16

treyさん、こんにちわ。
自己中心的な考え方という言葉にすると確かに良くない印象を持ってしまいますが、たいていの方は自分中心の考えを持ってしまっていると思います。
そんな中でも利他的な考えを持てる方というのは、他人に及ぼす影響や結果が自分にも返ってくると考えているのではないでしょうか。ですから、自分のことも考えつつも周りのことも考えて生きているのだと思います。
私が信仰している宗教には、人を助けて我が身助かる、という教えがあります。誰かのためにしたことは巡りめぐって自分にも返ってくるという考え方で、相手に助かって欲しいという誠真実の心で接していくことでいつしか自分自身の心も澄みきって助かっていく、という教えです。
もっと分かりやすい例えでいえば、自分のことしかやらない、また考えないでいると、周りの人は手伝ってくれようとはしないし、気にも掛けてくれなくなります。
自分の考えを大事にすることは悪いことではないと思いますが、周りの考えも尊重し、互いに助け合っていく気持ちでいることが大事なのではないでしょうか。
一つの考えとして捉えて頂ければと思います。

ザカーとサダカ

2024.07.12

 treyさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。人間は自己中心的な生き物だと思います。他人のため、社会のため、と言いながら結局は自分のために生きていると思います。しかし、私たちムスリムはそういう面もありながら、イスラームの教えに則り、他者の利益をも考え生きています。
 イスラームの教えの根幹は「六信五行」です。六信とは、「アッラー・天使・啓典・預言者・来世・予言」であり、五行とは、「信仰告白・礼拝(サラート)・喜捨・断食(サウム)・巡礼(ハッジ)」です。断食や巡礼は有名かと思いますが、私たちムスリムにとって信仰告白、礼拝に次ぐ3番目の大切な柱が「喜捨」です。喜捨(ザカー)は聖なるクルアーンにおいて「そして彼らは純正な宗教の徒として、彼らの宗教をアッラーのみに真摯に捧げて崇拝し、サラー(礼拝)を行い、ザカー(浄財)を施すことしか命じられてはいなかったのだ。そしてそれこそは正しい宗教なのである。」と記されています。最低限の財産を所有し、最低でも1年間その財産を所有したムスリムはみな、この喜捨をしなくてはなりません。豊かな人が貧しい者に物乞いの辱めを味わわせないようにするべく規定されとされていますが、クルアーンにはさらにこのように記されています。「喜捨は貧者と困窮者、喜捨(の徴収)に携わる者、(それによって)心に親愛が生まれそうな者、奴隷の解放、債務に苦しむ者、アッラーの道にある者、そして旅人に与えられる。(それは)アッラーからの義務である。アッラーは全てをご存知で、かつ英知溢れるお方。」喜捨をしないと私たちは不信仰者として扱われてしまいます。
 ザカーはある意味では義務的な喜捨にあたりますが、イスラーム世界にはさらに「サダカ」と呼ばれる任意の喜捨があります。こちらは自分の家族や親類に対する喜捨を第一義的なものとしています。いずれにしても「喜捨」をすることで私たちは天国に近づきます。このように、ある意味では多者の利益になすことをすることが宗教的義務であれば、treyさんにとっても分かりやすく、また他者のために生きようと思えるのではないでしょうか。
 ちなみに、このようなイスラームにおける経済観念は、「すべては神の所有である」と言う考えが根幹にあります。それゆえ、ザカーは罪を贖うと言えます。そして地獄からの救いと天国への扉への1つの手段ともなるのです。
 いずれにしても、自己の利益だけでなく、他者の利益をも考えるtreyさんのことを神様はきっと見守ってくださっています。
 インシャアッラー。

自分ファースト

2024.07.12

ンガアイホー!私K子様言います。台湾人だから日本語間違うかもだけど許して。
私はっきり言う好きだからはっきり言うけど、自分ファーストで良いと思うよ。今の世の中、色々な○○ファーストあるでしょ。でも結局は自分ファーストじゃないと。動物はすべて欲求に基いて生きている。人間は「社会性」とかなんとか偉そうなことを言って、その欲求を隠そうとする。でも、人は欲求があってこそ成長するでしょ。お金が欲しい、より良い生活を送りたい…それが全体として社会もより良くしていくと私思う。だから、あなたあまり他者のこと考えずに自分ファーストで今のままで良いよ。
ただ、友達との関係性の中で嫌な顔とか嫌そうな態度はしないほうが良いね。心が狭いと思われるよ。

自利利他円満

2024.07.12

私は神社にもいくし、寺にもいく。その意味では多宗教徒でもあり、ある意味では無宗教徒でもあると言える。しかし、親鸞の教えは好きだ。親鸞は日本の大乗仏教を具現化した人物だ。仏教には、自利利他円満という考えがある。浄土真宗の文脈で言えば(または大乗仏教の文脈)自利というのは、自分がさとりを開いて仏になるということであり、利他とは他をさとりに到らしめる、ということである。きみがいうように、人は普通自利のみを考える。しかし、それではより良い世界を築くことはできない。だから利他が大切になる。自分だけではなく、他者も幸せになることが本当は自分の喜びにもつながるのではないか…しかし、このような境地に至るには人生の年輪が必要だ。私がこのように思うようになったのは、60歳ごろからだ。それは自分として人生をある程度やり切ったからという思いがあったからとも思う。きみにアドバイスしたいのは、まずは自分自身の人生を精一杯歩むことだ。それがきっと利他にもつながるし、人は最終的には自利利他円満の境地に至るはずだ。

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