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求め続ける謎

生き方・心構え 回答期限 2024.04.20
2024.04.17

なぞなぞシリーズで「一生をかけて探し求めても、見つける事が出来ないものは何でしょうか?」それは“答えです”があります。ひねりが利いていて、個人的に興味深いと感じます。確かに、なぜ人々は答えが出ない問い、例えば生まれた意味や生きる意味、幸福の源泉、私たちは何処から来て何処へ向かうのか?等々を求め続けるのでしょうか?

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回答 3 件

回答は各回答者の個人的な意見で、宗派によって見解が異なることがあります。多くの回答から質問者様にとって、一番良い答えを探してみてください。

無知の知、不知の自覚

2024.04.17

 ペコさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。私はムスリムなのですが、中世イスラーム世界は先哲たちの経験や考えを大切にしてきました。そしてそれはイスラーム世界に限らず、ヨーロッパ世界、特に古代ギリシア・ローマの先哲たちの忘れられた経験や考えを掘り起こしました。
 その中でも、私はソクラテスの「無知の知」または「不知の自覚」と呼ばれることが好きです。人は少し経験したり、少し学習したりすると、あたかもすべてを知っているようにふるまいます。現代社会で当てはめれば、会社のちょっと上の先輩を思い浮かべればわかりやすいかと思います。
 しかし、人はどんなに小さな物事でもその全てを知り尽くしているということはありません。それを思い起こさせてくれるのが、この「無知の知」なのです。自分が何も知らないということ自覚できるか、それが人間として成長できるかどうかにつながると思います。このような言葉がギリシア時代に考えられていたのですから、ペコさんの言うように、人は求め続け、考え続ける生き物なのだと思います。
 いずれにしても、より良い自分を描こうとなさっているペコさんのことを神様はきっと見守ってくださっています。
 インシャアッラー。

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質問者 ペコ

2024.04.18

有難う御座います。ある人が「無知の知」を理解し、知らない事を知らない事として心に閉まえる人は実は一定数しかいないと。多くの人は知らない事は「怖い、不安」と感じて踏ん切りがつかず、それっぽい”答え”を得る事によって心の平和を求める傾向があると言っていた事を思い出しました。

人間は考える葦である

2024.04.17

ンガアイホー!私K子様言います。台湾人だから日本語間違うかもだけど許して。
私好きな言葉あるね。私が日本で勉強していたころ、日本語の先生に教えてもらった。「人間は考える葦である」この言葉は深いでしょ。人間は考える存在であると同時に、大変はカナ小さい存在でもある。さらに色々な解釈ができるでしょ。この言葉自体が深い謎ともいえるね。
ちなみにこの言葉には、このような続きがある。
「人間を押しつぶすためには宇宙全体が武装する必要はなく、蒸気や一滴の水でも人間を殺すことはできるだろう。もし宇宙が人間を殺しても、人間は尊い。なぜなら、人間は自分自身の死を理解している点で、宇宙よりも尊厳のある存在といえるのだ。人間の尊厳は、すべてその思考の中にある。よく考えることに努めよう。考えることにこそ、道徳の原理があるのだ。」
深いでしょ。

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質問者 ペコ

2024.04.18

有難う御座います。所説あるもパスカルさんの有名な”つぶやき”ですね。気づきとしては、人間の尊厳が思考にあると主張しつつも、道徳の原理を考えることが重要であると述べている為、一貫性が欠けている気がしないでもない言葉ではありますが深いです。「知恵は知識にまさる」これも好きな言葉ですが、知識がなければ知恵も回らない気もします。総じて、この方のつぶやきは深いです(笑)

数学は答えを求めるが、その求め方は無数

2024.04.17

私は大学で数学を専攻し、数学者だった。数学は答えがある。しかし、その答えにたどり着く方法は無数だ。つまり答えのあるものにも無数の考え方がある。人間はそういう知的なものに魅かれるからこそ人間ともいえる。いわゆる物理や社会系学問は答えのないものに答えを与えていくと言われている。それもやはり人間の知的好奇心をくすぐる。人間がAIに負けないのは、知識量ではなく、そういった「考える」ということだと私は思う。

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質問者 ペコ

2024.04.18

有難う御座います。答えは一つ。しかし辿り着くには多用な道があり、それを楽しむのが人であるという着眼に感銘を受けました。人類が神の数式に到達する日が本当に来るかもしれないですね。「知恵は知識にまさる」これはAIに向けての言葉だったと合点がいきました。

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