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仏教の原点

その他 回答希望宗派 仏教 回答期限 2023.11.19
2023.11.16

仏教に最近関心がありますが、後世の弟子が没後数百年後に記載したと思われる書物や最澄や空海、後の鎌倉時代に多く派生した○○宗ではなく、ブッタの教えオリジナル、もしくは最も近い素の内容(考古学的にサンスクリット語を忠実に翻訳した書物)などはないのでしょうか?もしあれば教えて頂ければ助かります。

回答 3 件

回答は各回答者の個人的な意見で、宗派によって見解が異なることがあります。多くの回答から質問者様にとって、一番良い答えを探してみてください。

スッタニパータ

2023.11.18

 パンダ3さん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。私はムスリムのため、仏教にさほど詳しくないのですが、以前、スリランカを訪れた時に、仏教の原典について学びましたので、その経験からお答えいたします。
 まず、仏教が誕生したのは今から2500年前です。世界三大宗教で一番古く、またインドで誕生したものの、現在のインドでは仏教徒は1%しかいません。そのため、仏教より古くに成立したユダヤ教が、その民族の歴史の中で保存されたのとは違い、原典自体が存在していません。というより、ブッダが生きている時は、教えの文書化が許されませんでした。ですから、ブッダの生きた言葉が仏典に記されたかどうかも分かりません。
 そんな中、スリランカはいわゆる上座部仏教の総本山的な存在であり、国民の多くは仏教徒です。スリランカを訪れ、アヌラーダプラなどの町を訪れると、その経験な仏教徒の姿に、ムスリムである私も感動しました。そのスリランカに残されている仏典が「スッタニパータ」です。この仏典はマガダ語で書かれている部分もあり、かなり古い時代に書かれたことは間違いありません。マガダ国と聞くと、ブッダが、まだシャカ族の王子ガウタマ・シッダルタの時代に、彼の国に圧力をかけていた国であることを想起される人もいるかと思います。
 このスッタニパータには有名な言葉があります。
「犀の角のようにただ独り歩め。」
大谷大学のホームページに、この言葉について説明が書かれています。
「インドサイは群れではなく単独で行動することが知られていますので、「犀の(一本)角」という比喩表現は「孤独」を意味します。このように仏教が孤独を勧める背景には「私たちの悩みは人間関係から起こる」との分析があります。つまり、悩みを生み出す原因が「人のつながり」にあるのなら、そこから一時的に離れてみることが心の成長に必要ということです。」(大谷大学ホームページより)
 つまり、原始仏教は、日本のいわゆる大乗仏教とは違い、孤独と向き合いながら真理に達することを大切にしていたのではないでしょうか。日本は大仏に代表されるように、鎮護国家という大目標のために仏教が導入されたという歴史的経緯もあり、原始仏教とは全く違う方向で成長したように思います。
 いずれにしても、宗教に興味のあるパンダ3さんのことを、神様はきっと見守ってくださっています。
 インシャアッラー。

質問者 パンダ3

2023.11.20

有難う御座います。「スッタニパータ」調べてみます。「悟り」ではなく、「目覚め」がより正しい表現なのですよね。果たして何から目を覚ますのか?実に面白いです。

日本の仏教は偽教であるが、それでも真理がある

2023.11.18

きみの質問はよく分かる。日本の仏教は飛鳥時代に中国や朝鮮半島から伝わったものだ。インド古来の教えとは似ても似つかないものだとはよく言われている。中国に伝わった時点で、インド古来の教えとすでに違っているという話もある。
今から1500年前ぐらいに存在した僧である「鳩摩羅什」は有名だ。彼は今の中国でいう新疆で生まれ、インドで学び、300巻以上の仏典を翻訳したとされる。その学びの中で、彼は原始仏典にも触れたと言われている。しかし、彼の時代ですら、ブッダが生まれてから1000年もたっているのだ。そして有名な唐の玄奘。彼もインドのナーランダ僧院で学び、やはり仏典を翻訳した。私は彼の大唐西域記が大好きだ。彼は、当時の中国仏教をインドの原点に従って修正したとされるが、彼もやはりブッダの時代からは1000年以上たっているのだ。だから、どちらも実際は、「原典」に触れたとは思えない。なぜなら、当時すでにインドでは仏教は衰退していたからだ。
だから、日本の仏教はおそらくインド古来の仏教は似ても似つかぬものであることに間違いない。しかし、私は親鸞が好きだ。彼は自分の信じた仏教、これが本来の仏教であるかどうかは別として、その信仰を深める中で、彼自信が「目覚めた人」、つまり仏陀になっていると私は思う。だから、彼の教えには真理がある。それを信仰することは仏教の本筋とは違うかもしれないが、宗教としては私は完成されたものだと思っている。
インドについてのことを語れずに申し訳ないが、日本の仏教も、それほど悪いものではないと私は思う。

質問者 パンダ3

2023.11.20

有難う御座います。「偽教」とは怖くて表現出来ませんでしたが、よく偉大なブッタの教え等々ありますが、調べると本当にブッタの教えなのだろうか?と。記録が無いと言う事になりますので、結局は後世の人の創作とも言えるし、ブッタの
投げ掛けた問いを証明しようと、天才たちが挑み続けてきたとも言えます。真理とは数学と言われますが、文字通り難問を解こうとしてきた人類の歴史なのかもしれません。

台湾の仏教

2023.11.18

ンガアイホー!私K子様言います。台湾人だから日本語間違うかもだけど許して。
はじめに言っておくけど、私、インド行ったことない。だから、インドのオリジナルな仏教について知識ないね。だけど、台湾の仏教についてはちょっと知ってる。あなたの仏教の知識と少し違うかもしれないからそれを紹介したい思う。
私の住んでいる町の近くに、佛光山という場所がある。川のそばに、大きな寺院がある。台湾の南部なんだけど、あなたにもぜひ行ってもらいたい場所。そしてここには大きな仏像がそびえている。遠くからも良く見えるよ。台湾の仏教はいわゆる大乗仏教。みんなが救われることを目的にしている。聞いたところによると、日本統治時代は「神道」(なんで読むか分からないけど)という日本の宗教が台湾で主流になった。だけど、道教とか仏教とか、台湾では盛んだったから、当時台湾に北日本の役人は仏教も認めたみたい。
台湾に仏教がやってきたのは、鄭成功の時代ぐらいらしいね。たぶん今から300年とか400年ぐらい前。これはインドの仏教にもつながるかもしれないけど、在家の僧侶がいっぱんてきだったみたい。しかもみんな頭も剃らないね。原始仏教でも、在家の信徒がほとんどだったらしい。だからこのあたりはインドの原始仏教とつながるところある思う。
台湾仏教の教えは、現世的な側面強い。あとは座禅を組むような、どちらかというと体調をよくするヨガ的な側面もある。そして道教や色々な宗教と混ざり合っている。インドの原始仏教はバラモン教に対する反発から生まれているでしょ。でも台湾人は「受容的」だから、宗教の様子も全然変わったのだと思う。
ごめんなさい、あまり参考にならなかったかもしれないけど、頑張って回答したつもり。調べたり、友達に聞いたり、近くの寺院にも聞きに行ったよ。台湾のお寺を訪れてみて。

質問者 パンダ3

2023.11.20

有難う御座います。台湾のおみくじ+ポエ占いは実に興味深いです。

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