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命の不公平

老病死 回答期限 2021.09.28
2021.08.29

先天性の病気で余命があとわずかな子供に
「どうして自分だけ、何も悪いことをしていないのに、こんな病気になって死んでしまうのか。不公平じゃないか」と言われました。
何と言って答えてあげたら、良いのでしょうか。

回答 2 件

回答は各回答者の個人的な意見で、宗派によって見解が異なることがあります。多くの回答から質問者様にとって、一番良い答えを探してみてください。

与えられた命を精一杯生きる

2021.08.30

 りんねさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。お子さんが余命あとわずかとのこと。そのお気持ちは察するに余りあります。ただ、私どもムスリム(イスラム教徒)は死について一般的な日本人の方々と違う捉え方をしております。その考え方はもしかしましたらお子さんの気持ちを和らげることがにつながるかもしれませんので、お伝えしたいと思います。
 りんねさんはそのお名前の通り、死後は輪廻を信じる仏教徒でいらっしゃいますでしょうか?仏教では因果応報、次の命が宿る時に前世の徳が反映されるとされています。しかし、死後はあくまでも新しい命であり、区切りがついています。そのため、死は大変重要で、死に対する恐怖も大きいかと思います。しかし、イスラームにおいては死は「通過点」です。人間の真実の「生」は来世にこそあると教えるイス ラームでは、絶対的な神のもとで、現世も来世も人間が生きる場として想定されています。人間が、真実の生を生きるのは死後の世界であると考えられるので、イスラームでは、もともと死者と生者の区別はあまりありません。(しかし、死者を弔う手厚さは日本人の感覚と変わりませんし、聖者の霊廟は信仰の対象にもなっています)神の手によって創造された一個の「命」は現世での短い定められた期間を過ぎたなら死を迎えますが、神がこの世界を破壊する終末には、同じ人物として来世に復活し、そこで永遠の「命」を生きることになります。つまり生と死、そして来世が直線的でつながっているのです。
 この点について筑波大学名誉教授の塩尻先生は「このような復活思想について、私は「死をはさむ二つの生」という思想があると考えている。最初の生が終わった時の「死」は、新しい第二の生へ、永遠の生へと続く、なくてはならない道筋である。神の被造物としての人間はやがて神のもとに帰るという「帰天」の考えにしたがえば、人間は来世を目指して生きることが義務となる」と述べています。
 つまり、現世の死はあくまでも通過点なのです。ですから、現世の死を迎えるにあたってまずは精一杯生きることが大切です。それが第二の生にも必ずつながります。りんねさんのお子さんの来世は実は輝かしいものかもしれません。それを信じ、神と共に生きることが現世の死への痛みを和らげることにもつながるのではないでしょうか。
 すみません、突然このお話をお子さんにしても「?」かもしれません、、、必要であればいつでもお伺いしてイスラームについてお子さんにお話をさせて頂きます。
 いずれにしてもお子さんと共に現世を精一杯生きるりんねさんのことを神様はきっと見守ってくださっています。
 インシャアッラー。
 

自身に出来る精一杯を

2021.09.01

りんねさん、こんにちわ。
悲しい気持ちで心が痛む状況だと思います。
「何も悪いことをしてないのに…」この言葉に私も涙が出てきます。
実際に目の前で言われたら、私自身もどう答えてあげたら良いか分からないと思います。
ですが、出来ることがあるとしたら、周りの人は精一杯の愛情を込めてあげること、だと思います。
私の母親は突然の死でした。もし余命宣告を受けて亡くなるかもしれないと分かっていたら、もっと親孝行出来たかもしれません。
余命宣告を受けるというのは、本人もご家族も辛いです。ですが、心の準備といいますか今自分に出来ることを精一杯しようと考えることが出来ます。
寿命という意味では不公平に感じるかもしれません。ですが、知っていることで人生を悔いの無いようにと過ごす、と考えることが出来るかもしれません。
余命宣告を受けていないからといっても人はいつ死ぬかは分かりません。不慮の事故も突然の病気も誰にでも可能性としてはあるわけです。
それと、気持ちとして諦めてはいけないと思います。余命宣告を受けても生き続けられたという例はあります。
一生懸命生きるようにとの神様からのメッセージなのかもしれません。
子供の年齢だと、こんなことを言っても受け止められないかもしれません。
りんねさん自身も前を向いて精一杯に尽くしてあげて欲しいと思います。
質問の回答になっていないと思いますが、一つの考え方として捉えて頂けたらと思います。

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