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Ai Qualia

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信じることが出来ない

自分の心・体 回答期限 2025.04.16
2025.03.17

中学生の頃に信用していた友達に悩みを打ち明けたら笑われ、馬鹿にされた時依頼人を信じることが出来ません。
また、中学3年の頃 周りに上手く馴染めずネットばかりやっていたとき親に激しく叱られてネットを取り上げられました。
実際ネット中毒は危ないですし、親は私のことを思ってそうしたのだと思います。
しかし私が周りに馴染めない寂しさを相談しても、「甘えるな」と怒るばかりで私の話は聞いてくれませんでした。
そして私の試験の点数が上がり始めると機嫌がよくなりました。

家族はいつも私のことを大事に考えてくれていると思っています。
だからこそ高い学費なども出してくれていると思うのです。
でも私が本当に悩んでる時は怒るだけで私の話は聞いてくれません。
例え親が私のことを思ってしてくれてることだとしても、親は私を人形のように扱っているとしか思えないのです。
そんな風にしか考えられず、いつまで暗い気持ちでいる甘えた自分も信用出来ません。
誰のことも信用出来ない、したくない。でも自分が独りぼっちでいるのも怖くなります。
自分がどうしたいのかもわかりません。
なんの為に生きればいいのかもわかりません。

人を信じることが出来ないなんて、人の顔を見て言うことが出来なかったので、相談させて頂きました。
コメントをいただけたら、うれしいです。

回答 4 件

回答は各回答者の個人的な意見で、宗派によって見解が異なることがあります。多くの回答から質問者様にとって、一番良い答えを探してみてください。

人に依存しない、期待しない、そうすればいつでも「期待以上」

2025.03.20

ンガアイホー!私K子様言います。台湾人だから日本語間違うかもだけど許して。
私はっきりいう好きだからはっきり言うけど、若い頃、特に女性は人に依存したがる。あなたもそうかもしれないけど、学校で女のことは小集団をつくるでしょ。2人とか3人とか少ない人数で固まりたがる。男は違うね。適当に群れたり、適当に一人でいたり、いつも同じ友達とばかりいない。かく言う私も若い頃はいつも同じ女友達と一緒にいた。
でもあなたと同じでその友達に裏切られたことあった。そこから人に依存しちゃだめだと思ったね。依存していると裏切られた時、その心の動揺と言うか落ち込みは相当なものでしょ。だけど、適度な距離間でいれば裏切られたとしても、辛いけどそこまで落ち込まない。結局信じられるのは自分だけよ。親だって他人だから期待しすぎちゃダメ。こうあって欲しい、こうでなくては、なんて思わないほうが良いね。そうしたら普通のことでも「うわぁ、こんなことしてくれて嬉しい」と思えるようになるね。
私なんて夫が少しでも家事をしてくれたら本当に嬉しいね。だって全く夫に期待していないから、いつでも「期待以上」になるからね。

それでも人を信じる

2025.03.20

 みるくさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。私は教育業界におりますが、みるくさんと同じく裏切られる経験を何度もしています。
 私が教員になりたての頃、学校は今以上に荒れていました。自分の学校だけでなく他の学校の生徒たちとつながり、暴力行為や窃盗などの犯罪行為に手を染める生徒もいました。彼らは家族だったり、発達障害だったり、様々な背景を持っていたので彼らの行動はある意味では仕方のない部分もありました。しかし若かった私は何とか彼らが社会に無事に巣立って行って欲しいと思い、生徒たちと向き合いました。
 その中で、生徒が問題行動をしてしまった後、生徒の将来を思い説諭し、「もう二度としない」という約束をすることがありました。自分としては本気で向き合い、本気で話をしたつもりでしたので、生徒が二度としないということを本気で信じました。
 しかし、その約束はほとんどが破られ、生徒は同じような問題を起し、時には鑑別所や少年院に行ってしまう生徒もいました。そのたびに自分の無力を痛感し、さらに約束が破られたことで人間不信のような感じに陥ることもありました。
 そんな時、もっと荒れた時代に教員をしていた私の母がこのようなことを言っていました。
「教員の仕事は生徒を信じること。裏切られても裏切られても信じるしかない。私たちができるのはそれしかない。信は「まこと」とも読める。生徒を信じるところから誠の人間関係がうまれるのよ」
 その時、私は自分を恥じました。誰も信じられる大人が周りにいないから生徒は問題を起しているのです。それなのに私だけでも生徒を信じなくては生徒は立つ瀬がありません。生徒は約束を破りたくて破ったわけではなく、彼らには彼らなりの事情もあります。その言葉を聞いてからは私は生徒のことはどんなことがあっても信じるようになりました。そして生徒と誠の人間関係が少しずつ築けるようになったように思います。
 人は信じ、信じられなくては生きていけません。みるくさんもこれから様々に人から裏切られると思いますが、みるくさんはそれでも人を信じてください。そこから「誠」の人間関係が生まれると私は信じています。
 いずれにしても人とのより良い関係を模索するみるくさんのことを神様はきっと見守ってくださっています。
 インシャアッラー。

信は神への誓いの言葉につながる

2025.03.20

「信」という言葉は、神に誓いをたてた上で、人との間に約束した「まこと」を意味するそうだ。だから「信じる」ということは現代で言う意味よりも実際は重いものだ。だからきみが人を信じることができなくても実は当たり前のことなのかもしれない。
ちなみに私が唯一信じられるのは妻だ。親でも子供でもない。ましてや友達や同僚など信じるに足らない。私は親をえらぶことができないし、さらに言えば子も選ぶことができない。しかし、妻は選ぶことができた。だから私は信じることのできる人を妻にした。
きみもきっとこれからの人生で心から信じられる人に出会えるはずだ。でもそれは片手で数えられるぐらいの数だろう。だから今は出会えていなくても仕方がない。ただ、親のことを信じられなくても分かっていて欲しいのは、親はきみのことを心配してくれているということだ。親なんて一方的な生き物だからきみの思いを聞いてくれない。そういう生き物だと思ってみると気が楽になる。ただ、親はきみのことを本気で心配してくれている。それだけは分かってあげて欲しい。

前を向くこと

2025.03.28

みるくさん、こんにちわ。
人を信じられなくなったきっかけの出来事が起きる前までは、人を信用することは出来ていたわけですよね?それであれば、今はショックによる拒否反応のような状態だと思います。
信じていた人に裏切られた、ひどいことをされた、そんな出来事があったら誰だってショックを受けます。
ですが、そういった出来事や親からの言葉などを理由にみるくさんの人生を台無しにしてほしくないです。
人を信じることは関係を結ぶ上では大事なことです。ですが、信じすぎないことも同じくらい大事です。人生においては良いことも悪いことも起きます。悪いことも含めて自分の人生の1ページであり、その1ページで人生を決めつけないことも必要な考えかと思ってます。
何のために生きれば良いか分からないと思っているようですが、答えなんてありませんし、簡単に見つかることでもありませんし、生きながら生きがいを探すものだと思います。
負の考え方からは負しか生まれないと私は思うようにしています。
人生を楽しく過ごしている人には辛い出来事が無いわけではありません。辛い出来事があったとしても前を向いているから乗り越えられていると思います。
みるくさんも前を向くこと、私にはこんなことしか言葉を掛けることは出来ませんが、一つの考え方として捉えて頂ければと思います。

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