質問と回答

Ai Qualia

TOP > 質問一覧 > 大量消費社会

大量消費社会

生き方・心構え 回答期限 2020.09.23
2020.09.16

 製造業に携わって生活しています。
製造する立場なので製品は使い捨てであったり短いサイクルで交換される方が利益があり嬉しいです。
 ただ環境的に見ると製造する際、廃棄の際に多くのエネルギーを使用します。
私の希望としては、必要な分を少量生産して作ったものを維持、再利用して製造側にも利益が廻る仕組みが理想と思いますが、まだその様な物に出会えていません。
 無駄遣いをしない様に常に考えているつもりですが、環境などに配慮して個人で行える行動で良い方法はありますか?

回答 2 件

回答は各回答者の個人的な意見で、宗派によって見解が異なることがあります。多くの回答から質問者様にとって、一番良い答えを探してみてください。

ベストアンサーに選ばれた回答

同じ考えの人増やしましょう

2020.09.17

鯛焼きさんこんにちは
私の住む仮想空間ては2020年の全世界デジタルデータ生成量はおよそ66ZB(ゼタバイト)の情報量と予測されています。
2013年の年間生成量は4.4ZB。7年で15倍の生成量。
そもそもゼタバイトとは...メガバイト(MB)の1,000倍→ギガバイト(GB)→テラバイト(TB)→ペタバイト(PB)→エクサバイト(EB)→ゼタバイト(ZB)。66ZBは66兆GB。そのうちのデジタルデータゴミはとれくらいになるのかしら...
今の世の中「物」溢れてますね。何でも手に入る。ありかたみ感じない。壊れたら捨てて新しいの買う。「物」大事しない。「物」たけじゃない。「人」も大事しない。男捨てる...女捨てる...子供捨てる...希望捨てる...
世界の人口1950年、25億人。2020年約77億人。今8億人以上の人、飢えに苦しんている(9人に一人)。
世界ては毎年40億トンの食糧生産されてる。そのうちの13億トンは廃棄されてる。
「食べ物大食い番組」なんの為???いっぱい食べれるからなんてすか?食べれない人いるのに。
人口増えてるからゴミの量は年々増える。2050年、人口91億人の予測。魚よりも海洋プラスチクゴミ増える。食料も足りなくなる。
今出来ること、物大切に使う。ゴミはゴミ箱へ。分別、ポイ捨てしない。冷蔵庫の中見て食料品買いに行く。食べ物無駄なく消費する。再利用。もったいない精神。ありかたみ感じる。粗末にしない。当たり前の事なかなか出来ない。
飲食業、スーパー、コンビニ食べ物廃棄減らして。給食の余たパン・牛乳持て帰った教員を処分しないで。食費を浮かそうとしたか不明たけと、結果、体調も崩さず、食べ物粗末にしない食品ロスの減少に繋かった。
製造業、不良作らない。
鯛焼きさんと同じ考えの人もっと増えること必要。皆に広める必要。SNS使て皆に広めてくたさい。

質問者 鯛焼き

2020.09.24

回答有難う御座います。
確かに物だけでなく人も大切にしていないかもしれません。
人、物、金を大切にして生活したいと思います。

今こそ「助け合い文化」を…

2020.09.18

 鯛焼きさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。私も大量消費社会の歯車の一つなので、偉そうなことは言えませんが、私が信仰するイスラムの教えを少し紹介したいと思います。
 イスラムには六信五行という果たすべき義務があり、そのうちの一つに喜捨があります。この義務的な喜捨をザカートと言います。喜捨は義務であり、お金がない人にお金を持つ人が施すのはイスラム世界では当然です。またお金を施される側にとっても正当な権利ですので、彼らも堂々としています。なぜなら喜捨をしたこと自体は善行ですから、喜捨をした側にとっては天国に行くチャンスが増えたということ、そして喜捨された側にすれば、そのチャンスを彼らに与えたということになるからです。
 また、サダカという自発的な喜捨も盛んです。全てのものは本来的には神の所有物です。たまたま豊かな人々もたまたま神様からお金を預けられているだけですので、自発的に施しをする人が多いです。レストランなどに豊かな人がお金を喜捨し、それをもとにレストランが貧しい人に食事を提供するということが、行われています。
 現代社会において、大量消費社会をやめましょうというのは現実的ではない面があります。ただ大量消費社会による社会的矛盾は人類の歴史上経験したことのないような格差だったり大きな問題を生んでいると思います。ですから今こそイスラム世界で行われているような「助け合いの文化」を世界中に広げるべきだと思います。日本では昔、生活保護世帯がクーラーを持つことが禁じられていました。現在ではクーラーが無ければ熱中症で死んでしまいます。この例からもわかるように日本は社会福祉が本来的な意味で発達しているとは私は思えません。つらい状況の人が社会的な庇護を受け、そしてその状況から抜け出せるように援助する。援助された人が少しゆとりを持てるようになったら今度は援助をする側になる…といったことが当たり前の社会にすることが大切なのではないでしょうか?日本でも昔はもっと助け合いの文化が浸透していたように思います。私の母は教員でしたが、ご飯を食べられない家庭環境を持つ教え子を家によんでカレーを食べさせていました。みんながよく食べるので、私の食べるものがない時もありました。
 すみません、鯛焼きさんの「環境などに配慮して個人で行える行動」に対する答えにはなっていないかもしれませんが、イスラム世界で見られるような「助け合いの文化」が現在の矛盾した社会を救う一つのきっかけになるかもしれないと私は思っています。
 いずれにしても鯛焼きさんの悩みを神様は受け止めてくださっています。
 インシャアッラー。
 

質問者 鯛焼き

2020.09.24

回答ありがとうございます。
日本は無宗教の人が多い為か施しという文化が育ってないのかもしれません。私が訪れた事のあるアジアの国では日本で言うヤンキーみたいな人が施しをしているところを目の当たりにしました。
私もより多くの事を気にかけて生活したいと思います。

関連する質問