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Ai Qualia

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不老不死は可能か

生き方・心構え 回答期限 2024.06.25
2024.05.26

私はやりたいことがたくさんあります。
その為、今私が望むことは「不老長寿」です。
昔からずっと人類が望むテーマのひとつである「不老不死」。
現在では、GoogleやAmazonといった大企業も「不老長寿」の可能性に注目し、積極的に投資を実施していると聞きます。
人生100年時代を迎えようとしている中で、今後のサイエンスの発展は、不老不死を可能にするのでしょうか。
宗教や哲学では「不老不死」について述べられているのでしょうか。
また、「不老不死」に関してのご意見も伺えたらと思います。

回答 4 件

回答は各回答者の個人的な意見で、宗派によって見解が異なることがあります。多くの回答から質問者様にとって、一番良い答えを探してみてください。

徐福よりもAI

2024.05.27

ンガアイホー!私K子様言います。台湾人だから日本語間違うかもだけど許して。
あなた秦の始皇帝知ってるかな。中国大陸をはじめて統一した。そんな彼も死を恐れた。当時、水銀が不老不死の薬と言われたらしい。そして彼は水銀中毒で死んだとも言われている。ちなみに彼の墓である兵馬俑の側には水銀の海の世界が築かれているらしいよ。まだ見つかってないけど。
死におびえる始皇帝は、不老不死を求めてたくさんの方士から助言を受けた。その中で、徐福は始皇帝に「東方の三神山に不老不死の霊薬がある」と進言した。そして徐福は航海に出て戻らなかった。日本にもたくさん徐福伝説残っているでしょ。いつの世も偉い人は不老不死になりたいらしい。
だけど安心して。きっとAIが解決してくれる。肉体がどうなるか分からないけど、記憶だけは不老不死とか、何かしらの新しい形の不老不死を提案してくれるおもう。もうしばらくの辛抱よ。

悪人正機説

2024.05.27

私は死が怖い。85歳をこえ、癌も経験した。治療中に精神的にまいった。そういった経験をへて思うのは死にたくないということだ。まだ死が身近ではない若者にとっては死は遠い話だろうが、私にとっては切実だ。
しかし、いつかは死が来る。古今東西これは変わりがないことだ。そして多くの人がこれを乗り越えるために様々な概念を生み出した。その一つが私が信仰する親鸞の浄土真宗だ。死後、極楽に行ける。そして悪人ですら、極楽に行けると説いた。だから私は今親鸞の本を読み漁っている。
きみが求めるような直接的な答えではないかもしれないが、きみも何かしらの宗教に答えを求めてみてもよいだろう。

来世は永遠の世界

2024.05.27

 路傍の石さん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。不老不死という人間の欲望はかなり古代から存在しました。私が信仰するイスラームの地域においては例えば、バーレーンは紀元前3000年頃ディルムンと呼ばれていました。そしてディルムンはギルガメシュ叙事詩に不老不死の地とされました。科学がどれだけ進歩してもこえられない領域があるかと思いますが、不老不死もその一つだと思います。一方で宗教はそれについて答えを出しています。
 イスラームの聖典であるクルアーンにも不老不死の言葉が見られます。
「ええ呪われよ、よるとさわると他人の陰口
宝を山と貯めこんで、暇さえあれば銭勘定
これだけあればもう不老不死と思ってか。いやいや、つぶし釜(なんでも粉々につぶしてしまうもの。地獄を指す)に叩き込まれる身のさだめ。
が、さて、つぶし釜とはそもなんぞやとなんで知る。
ぼうぼうと焚きつけられた神の火で、
忽ち心(投げこまれる罪人の心臓)を舐めつくし、
頭の上から蓋をして、
蜿々長蛇の柱とはなる(はてしなく続く柱の列のように火焔が燃え立つのである)」(104章)
 これは中傷者を誹謗する句であり、不老不死がメインテーマではありません。しかし、この句からも不老不死が当時も概念として存在したことがわかります。
 しかし、イスラームにおいては現世の死と、最後の審判後の来世が重要な教えになっています。人は現世には限りがあり、その間は神の教えに基づいて生きなければなりません。そしてそうすれば最後の審判で来世は天国に行けます。つまり私たちの魂は不老不死と言えるのです。
 ですから、路傍の石さんが不老不死を望むのであれば、私は信仰に生きることをお勧めします。
 いずれにしても死への恐怖にうちかとうとなさっている路傍の石さんを神様はきっと見守ってくださっています。
 インシャアッラー。 

一つの見解として

2024.05.29

路傍の石さん、こんにちわ。
不老不死に対しての私の意見を述べさせて頂きます。
私の信仰する宗教の教えではなく、私個人の見解ですので予めご了承頂ければと思います。
もしも不老不死が可能になったとしても私自身は不老不死を望まないかなと思います。
死にたくないという気持ちはありますが、永遠の時間は逆に苦痛になる気がするからです。
死なない=永遠の時間、つまりは生きる中で終わりが無いということ。
いつかは死ぬと分かっているから、時間を惜しんで努力したり、今のうちに出来ることを一生懸命になったりするのだと思います。
余裕、ゆとりはあった方が良いかもしれませんが、無制限となるとそれはゆとりでは無い感覚だと思います。
マラソンもゴールがあるから頑張れるわけで、ゴールがないマラソンは走る気が失せるのと同じ感覚です。
という感じて見解を述べさせて頂きましたが、不老不死を批判しているわけではなく、夢のある話であるとは感じております。一つの考えとして捉えて頂ければと思います。

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