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生きがいを見つけたい

生き方・心構え 回答期限 2021.11.17
2021.10.18

毎日がつまらないです。
趣味もなく毎日家と職場の往復で休日は一日中家に閉じこもり人と合うこともなくてつまらないです。
こんなつまらない人生を送っているのは自分だけなのかと思う程です。

生きがいを見つけたいのですが、見つかりません。
だんだん生きてる意味もわからなくなってきました。、
ここ最近いいことが全くなくて嫌なことばかり起きている感じがします。
生きがいが見つかれば頑張ろうって気持ちになるかもしれないと思い、
探していますが、そう簡単に見つかるわけもありません。
ここまま見けることができないで一生を終えるのかと思うと、恐怖でいっぱいになります。
生きがいを見つけるにはどうするればよいでしょうか。

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回答 2 件

回答は各回答者の個人的な意見で、宗派によって見解が異なることがあります。多くの回答から質問者様にとって、一番良い答えを探してみてください。

楽しもうとする気持ち

2021.10.19

ムッシューさん、こんにちわ。
生きがいを見つけられない、毎日がつまらない、とのことですが、私自身も自分の生きがいは何だろう、と考えてみましたが、なかなか簡単には思いつきませんでした(笑)
つまり私も同じように特にこれといった生きがいを見つけられていないわけですが、楽しい日だったと思う時もあります。
もちろん、つまらない1日だったと感じることもあります。
この差は何なのだろうか?と振り返ってみると、ごく当たり前の話でした。
それは自分が楽しもうと行動したか、していないか、の差です。
ん?それって当たり前の話ですよね?と思いますよね。
しかし、これが全てだと思うのです。
やろうとしていることが楽しいか楽しくないか、ではなく、楽しもうとしているか、ということです。
毎日つまらないなぁ、と思ってしまえば、それはつまらない人生だと感じてしまうのは当然です。
それをどうしたらよいのか?という質問をムッシューさんがしているのは分かってます。
だからこそ、あえてもう一度言わせて頂くと、生きがいが無いからつまらないのではなく、楽しもうとしていないからつまらないのだと考えるべきです。
例えば、私の生きがいは登山です!と答えたとします。
登山を楽しもうと思わない限り、生きがいにはなりません。
そして、楽しもうとしなければ、ただ単に山を登っては下りる、疲れるだけの行為になります。
どんなことであっても、このように楽しもうとする気持ちがないと何をやってもつまらないものになるわけです。
自分の気持ち次第ですから、何も難しいことではありませんよ。
それが出来たら苦労しないと思うかもしれませんが、このような考え方もあるのか、と少しでも参考にして頂けたら幸いです。

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耐えた先に見える未来

2021.10.18

 ムッシューさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。私も日々、職場と家の単純往復です。特にコロナ禍となってから、この単純往復に磨きがかかり、毎朝駅まで歩きながら、ムッシューさんと同じように「何で今日も働くのだろう」と悩んでいます。私には趣味もなく、おそらくムッシューさん以上に「つまらない」人生を歩んでいる気がしますが、そんな日々に少しでも生きがいを持ちたいと私も思い、行動してみたことをご紹介したいと思います。
 実は人生を「つまらない」と思っている人はムッシューさんと私だけでなく、この世の中の多くの人がそうであり、歴史的な偉人達もいつもこの「つまらない」という気分と戦っていたようです。かの有名なベートーベンは「人間はまじめに生きている限り、必ず不幸や苦しみが降りかかってくるものである。しかし、それを自分の運命として受け止め、辛抱強く我慢し、さらに積極的に力強くその運命と戦えば、いつかは必ず勝利するものである。」と言っています。こういった言葉は私の信じるイスラームのハディースにも書かれており、「勝利は、忍耐と共にあり、安堵は悩みと共に、楽は苦と共にあることを肝に銘じなければならない。」とあります。つまり、日々のつまらなさや苦しみに耐え、毎日を真面目に過ごしていく事が実は将来的な「楽しさ」だったり、「成功」につながるのかもしれないということです。私はこの言葉を信じ、つまらない毎日を何とか耐え凌いでいます。
 私が耐えた先の楽しさについて実感していることがあります。私は教育業界におりますが、人を育てることは大変難しい仕事であり、そう簡単には「やった~!」と思うことができません。そしてほぼ毎日、「こんなことをしても意味がないのではないか」とか、「なぜ分かってくれないのか」とか、「正しいことをしているつもりなのに」とか、徒労感でいっぱいです。しかし、そんな日々でも1年に一度だけ無条件に「達成感」を得られる日があります。それは卒業式です。どんなに苦しい日々を過ごしていても、卒業式を迎えると、生徒たちとの思い出は全て昇華され、涙が溢れます。それは生徒の方も同じようであり、ある意味お互いを許し合い、涙します。おそらくこの涙は、「つまらない」と感じている毎日、毎時間、毎分を生徒に対して精いっぱい過ごしていたからこそ感じられると思っています。つまり、ベートーベンもイスラームでも言っているように「日々のつまらなさに真面目に耐えた」からこそ味わえるものだと思っています。先ほど1年に一度と言いましたが、私は中学教員であった頃は大体中学1年生から3年生まで3年間担任を持ちますので、その場合は3年に一度となります。そして私は現在中高一貫校におりますので、6年に一度となるかと思います。それはそれは長いつまらない日々との格闘です。
 つまり、人はそうは簡単に「生きがい」を感じ、「毎日楽しい!」とは思えないということです。ただ、そんな日々を毎日一生懸命過ごしていると、実はある時「嬉しさ」を感じることがあったり、「楽しさ」を感じる時がくるということです。それはもしかしたら「死後」に迎えるかもしれません。私たちムスリムは現世をなぜ精いっぱい生きるかと言えば、最後の審判のあとの永遠の日々を楽園で過ごしたいからです。その楽園に行けて、はじめて人は「楽しい」と思えるのかもしれません。
 耐えた先に見える未来のために、まずは毎日を真面目に過ごしてみてください。そのつまらない日々の中で、生きがいが見つかったり、楽しさが見つかるかもしれません。
 長文になり申し訳ございませんが、いずれにしても人生をより良く過ごそうとなさっているムッシューさんのことを神様はきっと見守って下さっています。(もしかしたら信仰に生きる事こそ、ムッシューさんの生きがいにつながるかもしれません)
 インシャアッラー。

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