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それみたか、と強気になってしまう

生き方・心構え 回答期限 2024.12.19
2024.12.16

いけすかないと感じる友人がいまして、先日のその方のある失敗を耳にして鬼の首を取ったかのように罵ってしまいました。

なんで、こんな弱みに付け込むようなことを言ってしまったんだろう。。

回答 3 件

回答は各回答者の個人的な意見で、宗派によって見解が異なることがあります。多くの回答から質問者様にとって、一番良い答えを探してみてください。

人の過ちを自分事ととらえられると成長できる

2024.12.18

 snozさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。なんとなくそりが合わない…そういう友人や知り合いはいますよね。私も昔はそういった人がミスをしたりすると、心の中で「やっぱりな」とか「だからあいつは…」みたいに思ってしまっていました。
 しかし今は違います。クルアーンにこんな一説があります。
「眉をひそめ、そして顔をそむけた。眼の不自由な人が来たことで。どうして汝にわかるか、彼が清められるのを。あるいは彼が思念し、訓戒が彼を益することを。だが満ち足りた者については、汝はそれに対し応える。しかもその者が清められなくとも汝のせいではない。だが急ぎ求めて汝のもとへ来る人について、しかも彼は主を畏れている。だが汝はそれにつき、おろそかにした。断じて。本当にそれはお諭しである。」
 ムハンマドはメッカの名士達を集め、アッラーの道について熱心に説教をしていましたが、その場所へ目の不自由な男が入り来て、使徒の話しを遮り、様々な質問を浴びせ掛けました。目の不自由な男は状況を把握できず、説教の妨げになるのも介せずに余りにもしつこいので、使徒は思わず眉をひそめて顔をそむけました。この使徒の態度につき御主からの叱責が下されたのです。使徒の立場であるムハンマドがその男を疎んずるとは何事か、彼こそが清められる魂の持主かもしれない。それなのに権力を持ち、財産に恵まれ、満ち足りた不信者らに入信を勧め、そうでない人々をなおざりにすることを叱られたのです。信仰を必要として求め来る人にこそ配慮すべきであり、御主を心から畏れる人を大事にしなければなりません。御主アッラーは弱者も富者も貧者も貴人も老若男女もすべての人を平等に扱うように命じます。断じてこのような配慮に欠けた振る舞いをしてはならないと、平等を教える訓戒でした。
 私はこの一説に出会ったと、今までの考えを変えました。間違ってしまったことをするのは人間であれば誰にでもあります。それを自分事と思い、そこから学ぶことができるのか…それが大切だと思います。snozさんももしよければ人の過ちを見て、そこから学びを吸収できるような視点で生活してみてはいかがでしょうか?
 いずれにしても生活をよりよくしようとなさっているsnozさんのことを神様はきっと見守ってくださっています。
 インシャアッラー。

他人の弱さは自分の強さ

2024.12.16

ンガアイホー!私K子様言います。台湾人だから日本語間違うかもだけど許して。
私はっきり言う好きだからはっきり言うけど、人は汚らしい生き物ね。あなたのように他人の弱さにつけこむ人は多い。他人の弱さが自分の強さだと勘違いしている人が多いでしょ。でも私はそうは思わない。本当の強さとは、自分の行動で示すべき。そして本当に強い人は、他人が困っている時に自然と手を差し伸べることができる人。だからあなたがしてしまった行為はちょっと恥ずかしいね。
あなたは最近反省したり、自分の行動をかえりみたりできるようになったでしょ。それ素晴らしい。あなたが気づいたように、他人の弱みにつけこむのではなく、他人の弱さに手を差し伸べられる人になって。

マウントを取らない

2024.12.16

若いうちは自分の強さだったり、優秀さだったりを証明したい。その証明には、他人を貶めて自分の立場を高めることが手っ取り早い。それを現代では「マウントを取る」と言うらしい。しかしマウントを取ることはお勧めしない。なぜなら誰かのマウントを取れば、他の誰かにきみもマウントを取られる可能性があるからだ。マウントを取り合っていることほど不毛なことは無い。自分の優秀さを証明するには、ただ黙々と仕事に専念すればよい。その真面目な仕事ぶりを周囲は必ず見ている。誰かを貶めて自分を高めようとすることは周囲からすればあまり気持ちの良いことではなく、きみの評価を高めることにはならない。そして誰かの失敗を罵るなど言語道断だ。誰かが失敗したらそれを自分のことと思い、自分の行いを反省すべきだ。そういう謙虚さを周囲は見ているはずだ。

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