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相手のこと

生き方・心構え 回答期限 2021.09.24
2021.08.25

いずれも相手のことを思って、したことなんですが、
まあ大抵は嫌われてしまいます。
なぜに、だめなんでしょうか?
その人が、一生暗〜い人生を送りたいと言われたら、
そっとしてあげた方が、いいのですか?

そういう人たちの気持ちがまじでわからん。
アドバイスいただけたら嬉しいです。

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回答 2 件

回答は各回答者の個人的な意見で、宗派によって見解が異なることがあります。多くの回答から質問者様にとって、一番良い答えを探してみてください。

言うより聞く

2021.08.26

mmmpさん、こんにちわ。
相手のためを思ってしてあげること、言ってあげることは素晴らしいと思います。
しかし、自分と全く同じ人は存在しません。つまり、自分の考えと相手の考えは必ずしも一致しない、ということです。
中には助言されることを嫌う方もいると思います。そんな方には、何かアドバイスをすることよりも、話を聞いてあげることです。
話を聞いている中で、色々と助言したいこともあるかと思いますが、まずは共感出来る部分を探すこと、理解してあげることです。
けして、相手の考えを否定したり、自分の考えを押し付けるようなことはしないことです。
助言しないことが、そっとしてあげることではありません。
大抵の人は自分の考えを否定されると心を開こうとしなくなってしまいます。共感されると嬉しく感じます。
相手のことを思って言う、だけではなく、相手のことを思って聞く、という姿勢を見せることも必要かもしれませんね。
一つの考え方として参考にして頂けたらと思います。

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信頼関係と対話

2021.08.26

 mmmpさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。私は教育業界におり、それこそ生徒のことを思って色々なことを言ったり、したりしてきましたがmmmpさん同様に嫌われてきました。嫌われても生徒の心に何かが残れば、と思い教育活動を続けてきましたが、最近は少し考え方が変わってきました。そんな経験からご回答させて頂きます。
 よく、嫌われる勇気なんて言葉があり、間違っていることは間違っているとはっきり言うことが相手のためだったり、組織を構築する上では大切なこととされています。これに私は異存はないのですが、あえて「嫌われる必要はない」と最近は思っています。私は教員になりたての頃、誰彼構わず間違っていることは間違っていると生徒に指導していました。しかし、それがしみる生徒としみない生徒がいました。先輩教員になぜしみない生徒がいるのか聞くと、ある先輩は「そりゃあいつの性格じゃ無理だ」とか、「あいつに何を言って無駄だ」のように、生徒の問題にしていました。しかしある先輩は、「生徒と人間関係が作れていないからしみないんだ」と言っていました。私はその時、それこそその言葉が私の心にしみたのを覚えています。どんなに正論でも、どんなに正しいことでも相手にそれが理解されなくては意味がありません。生徒が私の話を素直に聞くには、その前段階に信頼関係のある人間関係がなければならないのです。先輩からの助言以降、まずは生徒との信頼関係を築くことを大切にしました。もちろん正しいことは伝えるべきなのですが、ただ正論だけ話をして、ただ嫌われるだけでは本末転倒です。嫌われるほどの正論を言っても、人間関係が崩れない相手との素地が大切かと思います。
 また、最近思うのは「常識は千差万別」であり、絶対的に正しいことなんてないと言うことです。相手に注意をしたりするということは、相手の行動があなたの常識に反する行動をしているからだと思います。しかし、そこで立ち止まって欲しいのです。あなたのその常識感は本当に社会的に100%正しいのでしょうか。今は様々な価値観があり、本当に多様性に満ちた社会になりつつあります。そんな社会で100%正しいことはあまりないかもしれません。ですから、あなたが「?」と思った行動を見た時、その相手になぜそのような行動をしたか対話をしていくことが大切だと思います。それこそその行動の裏には様々な背景があると思います。それを知らずして、ただ注意するのはもしかしたらある意味横暴的行為かもしれません。その対話によってただ嫌われるためだけの注意から、お互いを理解し合う中でのより良い行動への昇華につながるのではないでしょうか。
 いずれにしても、他者をより良き人へと成長させようとしているmmmpさんを神様はきっと見守ってくださっています。
インシャアッラー。

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