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疲れるから何もしない、を変えて欲しい

生き方・心構え 回答期限 2021.04.19
2021.03.20

先日、いつも穏やかな性格の子供と話をしていたときに『怒るのは疲れるから(怒りたいことがあっても)何も言わない』と。
怒ったり感情を露にするのが面倒だからと言うのですが、私は腑に落ちなくて。

『怒る』という行為が、時には、私はこれだけの想いで真剣に向き合っているんだと伝える手段にもなるのに、それをただ『面倒』と捉えられてしまうことに寂しくなりました。
同時に自分の心がいつか悲鳴をあげるのではないかと心配したりもします。
子供は褒めて育てる、という局面だけクローズアップされて、数年後には誰も怒らない、怒られるべきこともスルーされてしまう世の中になってしまうのではと危惧しています。

『怒られた』ではなく『自分のことを想って言ってくれた』と感じてもらうポイントをアドバイスいただけたらと思います。

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回答 2 件

回答は各回答者の個人的な意見で、宗派によって見解が異なることがあります。多くの回答から質問者様にとって、一番良い答えを探してみてください。

ベストアンサーに選ばれた回答

ほめてやらねば人は動かじ

2021.03.22

 ショコラブレッドさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。私教育業界にいた経験がありますので、その経験からご回答させて頂きます。
 まず、私はショコラブレッドさんのお考えに大変共感しております。怒られる、叱られるという経験は人間の成長にとって大切であり、時として大人から本気で怒られることによって、それが成長のきっかけになる場合もあると思っております。ただ一方で、現在の世相を見ると、お子様の気持ちも分かります。「相手のために」と思って言ったこと(怒ったこと)がSNS等で局解されて拡散されることもあります。ですから余計なトラブルを起こすより我慢するお子様が増えているのではないかと思います。
 私は教育現場では決して感情的に怒るのではなく、意図的に怒っていました。怒らなければいけない場面なので怒る(ように見せる)。あくまで意図的なのですが、その発する言葉には感情をこめて相手に伝えていました。それが伝わる場面もあれば伝わらない場面もあったと思います。怒っても相手に伝わらず、ただ憎まれては教育活動がうまくいきません。ですから私は怒る時に意識していたのは、相手の人格などを傷つけるのではなく、その行為について怒るようにしていました。また、怒った後に必ず私ではない誰かにフォローをしてもらっていました。なぜ怒られたのか、なぜ叱られたのか、その理由を他の人から伝えてもらうようにしていました。そして怒ったことについて引きずらない。次に会ったときはほめることから始める。といったことを大切にしていました。
 また、人間関係が無い相手に対しては怒らないようにしていました。相手もその一瞬だけを切り取られて怒られては納得しない場合もあります。長い人間関係を経て、信頼関係が構築しているからこそ怒られても理解できるのだと思います。そしてそんな信頼関係のある相手にも怒る前にほめる、または怒った後にほめる、このどちらかでいくようにしていました。山本五十六が言うように、「ほめてやらねば人は動かじ」です。
 すみません、長々書いてしまいましたが①相手の行為だけを叱る②フォローを入れてもらい、自分の怒った行為がどれだけ相手のことを思ってのことだったのかを伝えてもらう③引きずらない④信頼関係に基づいて怒る⑤結局はほめる、このあたりが怒ったとしても相手に伝わる怒り方なのかなと思います。お子様が思うように確かに、面倒ですね…ですが、人生のどこかで必ず人は怒られます。怒られることに感謝しなくては本当はいけませんが、なかなかこのご時世では相手から理解されない場面が見られます。怒る側が成長しなくてはなりません…
 いずれにしましても人間関係の本質について深く考えてらっしゃるショコラブレッドさんのことを神様は見守って下さっています。
 インシャアッラー。

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質問者 ショコラブレッド

2021.03.29

的確にご教授いただき感謝いたします。

今までのことを思い返すと…怒るべきことがあった時に、『あなたを信用していたのに』と否定の言葉から入ることがあったのかなと反省しています。

怒られるから何もしない・我慢するという図式にならないよう、ご教授頂いたことを常に意識していきます。

ありがとうございました。

気付かせること

2021.03.21

ショコラブレッドさん、こんにちわ。
怒ることは労力が要る、とはよく言うものです。だからと言って、何も言わなくなるという理由には心配になりますよね。
自分のために言ってくれたと思われるために必要なことは、私は雰囲気作りだと思います。
前触れもなくいきなり怒鳴られて怒られたら、伝えたいことも伝わりません。何がなんだか分からず、怒られていることに理不尽さを感じてしまいます。自分が怒るということより、怒られていると感じさせることです。
難しいことだとは思いますが、大事なのは自分が怒るということがメインになってはいけないと思います。
相手のためにと本当に思っているのならば気付かせるにはどうしたら良いのか、と考えることです。
それを考えた中での言葉はきっと相手に届くはずです。
また私自身は、怒ると注意する、は少し違うと思っています。
参考にならない見解だったかと思いますが、これも一つの考えだと思って頂ければと思います。

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質問者 ショコラブレッド

2021.03.29

アドバイスありがとうございます。

そうですね、怒る側は『怒っているんだぞ』という気持ちをただ伝えたいだけになりがちかもしれません。

怒る、注意する、指導する…
たとえば言葉で発する『いい加減にしろよ』というフレーズも、その時の行動・表情・関係性によって、受け取る側では違う言葉に感じるかもしれませんね。

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