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Ai Qualia

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現代社会とのずれ

生き方・心構え 回答期限 2025.06.15
2025.05.16

私が信仰している宗教には、古くから伝わる教えや儀式がたくさんあります。
その中には、『これは絶対に正しい行い』とか『こうするのが当然』と教えられていることがあるんですけど、最近、ニュースを見たり、学校で色々なことを学んだりするうちに、『あれ?本当にそうなのかな?』って疑問に思うことが出てきたんです。

例えば、昔からある儀式の一つに、特定の性別の人だけが参加を許されなかったり、発言権がなかったりするものがあります。
学校で人権について学んだり、ニュースで男女平等の大切さを知ったりするにつれて、『これって、今の考え方だと差別じゃないのかな?』と感じるようになりました。

他にも、教えの中には、現代の法律や倫理観からすると、ちょっと受け入れがたいような内容が含まれていることもあります。
例えば、ある状況下では、特定の行動を『当然の報い』として肯定的に捉える教えがあるんですけど、今の社会では、どんな人にも尊厳があって、一方的に罰せられるのはおかしいという考え方が普通ですよね。

そういう疑問を、長年信仰している年配の信者の方に勇気を出して話してみたことがあるんです。
そしたら、『そんなこと考えるもんじゃない。昔からずっとそうやってきた大切なことなんだから、黙って従っていればいいんだ』って、 即座に否定されてしまって。

『私が間違っているのかな?』『そんな風に考えること自体が不信仰なのかな?』って、すごく悩んでしまいます。
信仰自体は大切に思っているし、心の支えになっている部分もあるんですけど、どうしても今の社会の価値観とズレを感じてしまうんです。

かといって、長年信じてきた家族や周りの人を傷つけたくもないし、 宗教を否定するようなことをしたいわけでもありません。
ただ、自分の中で納得できない部分をどう受け止めて、信仰と現代社会の価値観を両立させていけばいいのか、本当に困っています。
同じようなことで悩んだ経験のある方や、何かアドバイスをいただける方がいれば、ぜひお話を聞いてみたいです。

回答 3 件

回答は各回答者の個人的な意見で、宗派によって見解が異なることがあります。多くの回答から質問者様にとって、一番良い答えを探してみてください。

私は複数の信仰を持っている…かも

2025.05.19

ンガアイホー!私K子様言います。台湾人だから日本語間違うかもだけど許して。
私はっきりいう好きだからはっきり言うけど、台湾人はすごく合理的。なぜなら神様は一つではない。お金が欲しい時はお金の神様にお願いしに行くし、受験でうまく生きたければ学問の神様にお願いしに行く。自分にとって必要な神様にお願いしに行く。あなたは自分の信仰にこだわり過ぎね。私もキリスト教徒だけど、道教の廟にもいくし、仏教の寺院にもいくよ。それはご利益があるから。キリストのことを一番大切に思っているけど、結局は現世で利益がなきゃ、と思う気持ちもある。
だからあなたも自分の信仰は大切にしながらも、自分の主義主張にも合せて異なる宗教のことを調べてみても良いと思うね。

神のご意志以外に絶対正しいものなどない

2025.05.19

 kiyoさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。私もkiyoさんの意見に賛成で、「これが絶対に正しい」とか「これが絶対に正義」などというものは無いと思っています。「絶対に」という言葉自体に違和感を感じます。絶対に正しいのは唯一神のご意志だけであると私は思っています。
 kiyoさんの信仰なさっている宗教が何かは分かりませんがおそらく神のような存在はあるのだと思います。ですから、教えの中でも神が「こうあるべきだ」と言っていることはその通りでしょうが、例えば神以外の「人間」が判断したり、解釈したりしたものは「絶対的に正しい」のではなく、「その当時においては正しかった」ものかもしれません。これはkiyoさん自体で判断すべき内容のものもあるかもしれません。
 私はイスラームを信仰していますが、クルアーンと呼ばれる神がムハンマドに預けた聖なる言葉をまとめた聖典があります。これらの言葉は「絶対的に正しい」ですが、それを信者たちは自分なりに解釈していきます。その解釈の仕方によって「法学派」が幾つかに分派していきました。ですから、これら各法学派が言っていることは正しいとも言えますが、正しくないとも言えます。解釈論に陥っている可能もあるからです。
 先日私は「ファトワ―」という回答をしましたが、そこにも書かせ頂いたように、イスラーム世界では現代世界に適合するようにムフティーと呼ばれる学者が「公的な解釈」をします。これは公的ですから「絶対」に限りなく近い解釈と言えます。このように各宗教においては現代社会と適合するための仕組みがあるはずです。きっとkiyoさんの宗教にもあるかと思います。
 いずれにしても信仰に生きるkiyoさんのことを神様はきっと見守ってくださっています。
 インシャアッラー。

信仰の本質は何か

2025.05.19

宗教には歴史がある。それは様々な文化的背景や歴史的背景の上で成り立っている。また、宗教と民族が深く結びついていることもある。ユダヤ教がその最たる例であろう。しかし、ユダヤ教徒たちすべてが昔ながらの教えや戒律を守っているのだろうか。
私がまだ働いている頃、職場にユダヤ人がいた。彼は音楽を生業としていたが、それだけでは食べれないので英語の教師として働いていた。彼に聞いたところによれば、現代社会に合わせて様々なグループがユダヤ教内にもできているということだった。携帯電話やスマホのような現代機器を使わない「超正当派」という人々がいて、昔ながらの生活をしている人もいる。一方で「近代的正統派」と呼ばれる、現代社会と適合した中で信仰を守る人々もいるそうだ。ユダヤ教徒は世界中に離散(現代的に言えば、移住)しているが、正統的なユダヤ人が住んでいそうなイスラエルにおいてですら8割程度のユダヤ教徒が現代生活に適合した信仰をしているという。
しかし、ユダヤ教徒はみな唯一神ヤハウェを信仰している。色々な考え方があるだろうが、信仰の本質とは神との関係性なのではないだろうか。きみも信仰の枝葉末節にこだわるのではなく、本質を見極めることが大切なのではないだろうか。

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