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Ai Qualia

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人の死に方にちがい

老病死 回答期限 2022.03.06
2022.02.04

私の母は末期の病気で、壮絶な痛みに耐えているところですが、それまでも薬の副作用に苦しみ死に対して恐怖を持ちながら不安と戦ってきました。そんな中で、知人の祖母はプリンを食べながらコロっと幸せそうに亡くなった・・なんて話を聞くと考えます。色んな方がいるかと思いますが、どうしてこんなにも差があるのかと。前世があるならば、何か悪いことでもしたのでしょうか。苦しみには何か意味があるのでしょうか。

回答3

死は体を休めるぐらいのもの 

2022.02.04

 プリメさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。私の祖母は食事をしている最中に、寝ているかのように召されました。一方で、私が幼少期に大変お世話になったおばさんは、がんを患い、見ているこちらが苦しくなるほどの闘病後に召されました。こういった経験を経て、私は小学生頃から「死」について深く考えるようになりましたので、プリメさんの悩み、よく分かります。「死」とは何なのかについて自分なりに答えを見つけるために、手塚治虫さんの「ブッダ」や「火の鳥」を読み、小学生の頃は一人で思索にふけることが多かったです。その頃は、幸福な死と不幸な死があると考えていましたが、今はイスラームを信仰することによって、そういった考えから一歩抜け出せました。このような私の人生経験から回答させて頂きます。
 日本における死生観の一般的なものは仏教の影響が強いと思います。現世の行いによって、次に生まれる世界が決まる=輪廻転生を信じていらっしゃる方は多いのではないでしょうか。そして徳を積むことで、六道のうちのできれば人間界に生まれ変わりたいと思う方もまた多いと思います。しかし、私はこの未来永劫続く輪廻が辛いと思っていました。そして輪廻から抜け出すには解脱しかないと知り、それは自分自身では不可能だろうと、小学生ながらに感じたのを覚えています。
 そして私はイスラームに出会いました。イスラームにおいて、「生」は神から与えられたものであり、そして「死」も神から与えられたものです。輪廻転生はなく、終末の時に、生前の行いによって死後の世界が決まります。イスラーム世界の詩人アルマッリが述べたように、「死は体を休めるぐらいのもの」であり、終末後の世界を待っている状態にすぎません。また、死に方についても神が定めたものであるので、それについて悩む必要もありません。まず、前世という考え方がありません。自分の運命を受け入れ、神の思し召しのままに生きるだけです。これは大変シンプルな考え方で、私はこれを受け入れました。プリメさんがどう判断されるかは分かりませんが、私たちの「今」は全て神の思し召しであると考えると、良いことも悪いこともそのまま受けいれられやすいのではないかと私は思います。
 いずれにしても、死について深く考えてらっしゃるプリメさんのことを神様はきっと見守って下さっています。
 インシャアッラー。

ホセイン | 藤沢モスク

プラネット
イスラームの教えに基いて生活しています。
幸せは心の平安によってもたらされます。
つらいこと、苦しいことをご相談ください。
あなたと共に心の平安を探していきたいと思います。

インシャアッラー。

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