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Ai Qualia

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神道と仏教

生き方・心構え 回答期限 2021.02.15
2021.02.12

日本古来には神道があったのに仏教が伝わると仏教が支流になってしまった理由や日本人は菩提寺が有るのに無宗教と言う人が多い理由など教えて下さい。

回答2

心の拠り所と信仰の違い

2021.02.14

 シュンさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。私は世界の宗教史について学んできましたので、その比較からシュンさんの日本の宗教観についてのご質問にお答えさせて頂きます。
 まず神道ですが、神道という言葉の成立はおそらく7世紀から8世紀ごろと言われています。つまり仏教が日本に伝来した後ではないかと推測されます。つまり日本古来とされる神道は実際は日本に伝来した仏教との対比の中で成立していったのではないかと思います。そのためシュンさんの仰る「日本は古来神道があったのに、仏教が伝わると仏教が主流になった」というご指摘は、当時の様子が分かりませんから断定的なことは言えませんが、「仏教伝来までは日本人の宗教はアニミズム的な信仰から出ておらず、仏教伝来による影響(例えば経典など)のもとに、日本のアニミズムが集合され日本にあたかも古来からあった体で浸透が創造された」というのが正しいのかもしれません。そのため、日本では仏教と神道が共存、または習合しているような状況が明治の神仏分離令に至るまで見られたのではないかと思います。実際、ほとんどの国で宗教が入り込む=軍事的侵攻とつながっていたので、日本のように平和裏に仏教が入り込んできた例は珍しいです。この珍しい状況が神仏共存の世界的にも珍しい日本の宗教を形成したのではないかと私は思います。
 また、菩提寺あるのに無宗教の人が多いというご質問ですが、これは日本人特有の宗教観にあるのではないかと思います。それは心の拠り所と信仰の違いで表せると思います。日本人は何となく誰しも神様だったり、仏様だったり、何だか分かりませんが絶対的なモノがあると心のどこかで思っています。受験などの時にお参りに行くのはそれが心の拠り所になるからだと思います。しかし普段の生活から神様や仏様の存在を意識していませんし、まして毎日祈るような「信仰」に至る場合はとても少ないです。ある意味日本人は、「この場面ではこの神様に祈り、違う場面では違う仏様に祈る」といったようなご都合主義、または合理主義が江戸時代以前からすでにあったように思います。お伊勢参りに行った旅人が、途中でお寺に立ち寄るなんて言う紀行文が残されています。ですから菩提寺もご都合主義で、お墓をつくれるのが近くのお寺しかなかったからそこを菩提寺としただけという人が多いのかもしれません。もし近くにお寺ではない大きな霊園があればそこに祖先を葬っていたかもしれません。仏教徒だからお寺に葬ったのではなく、都合が良いから近くのお寺に葬ったのではないでしょうか。
 日本人の宗教観は本当に難しく、日本人である皆様自身もよく分かっていないという状況は大変面白いですね。
 いずれにしても宗教に関心をお持ちのシュンさんを神様は見守っておられます。
 インシャアッラー。

ホセイン | 藤沢モスク

プラネット
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あなたと共に心の平安を探していきたいと思います。

インシャアッラー。

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