質問と回答

Ai Qualia

TOP > 質問一覧 > 教義と現実のギャップに悩む人を救いたい

教義と現実のギャップに悩む人を救いたい

生き方・心構え 回答期限 2021.09.18
2021.09.15

どの宗教にも宗派があり、お互いに教義や習慣が異なります。
教えと現実のギャップについて考えさせられています。

例を挙げると、命を大切にするイスラムは飲酒に厳しい。アルコール消毒液を使用する是非が問われています。
ある宗教が輸血を禁止。生命を尊び、人を愛しなさい。言葉を並べてみると辻褄が合わない点に気が付きます。
観点はいろいろあるので、宗教自体の否定ではありません。

信じる宗教の教えと現実とのギャップで悩める人が側近にいて、ワクチンも輸血も血管に異物を入れるので禁止、食べ物制限で免疫力は低下する。ストレスが溜まる。これでいいのか。宗教観があるから思ったように行動できないと相談を受けました。

「自分の命、愛、平和が目的であれば、その行為は教義よりも優先される」と答えようかとも思いましたが、どのような対応が適切か助言を得たいと思います。

同じ悩みを持つ人は世界に相当いる筈なので、名訓を得たい心境です。

通報する

回答 1 件

回答は各回答者の個人的な意見で、宗派によって見解が異なることがあります。多くの回答から質問者様にとって、一番良い答えを探してみてください。

解釈は自由であり、多様であって良い

2021.09.16

 TAKA.Aさん、アッサラームアレイコム!ホセインと申します。私はイスラームを信仰していますが、日本の方々にはマスメディアの影響でイスラームが硬直化した宗教のように思われています。そのため、TAKA.Aさんのご質問のように「消毒用であってもアルコールは駄目」と言った情報もあたかもそれこそイスラームであるかのように流されてしまいます。しかし、それは私としては間違いであり、イスラームが持つ本来の多様性とは違う解釈であると考えています。そのあたりからご質問である「教義と現実のギャップ」について、特にイスラームに特化してお答えさせて頂きたいと思います。
 まず、イスラームの根本をなしているものは「コーラン(クルアーン)」と「ハディース」です。コーランは言うまでもなく、アッラー(神)が天使を介してムハンマドに啓示した言葉を集めたもの、そしてハディースはムハンマドが生前に語ったとされる言葉を集めたもの(言行録)です。つまり今から1400年ほど前の教えを基にムスリムたちは生きているのです。これだけを聞くと、何と古めかしい宗教だと思われるかもしれません。
 しかし、イスラームは現代社会の問題について、コーランやハディースに書かれていることから現実と突き合わせて「類推」して、答えを出していきます。つまり現代的な解釈が許されている、大変自由な宗教なのです。ただ、その類推であったり、解釈であったりは最終的にはウラマーと呼ばれるイスラム世界の知識階級や宗教指導者によって「ファトワ(宗教的布告)」が出され、ムスリムはその行動を公式に許されるようになるという面もあります。しかし言い換えれば、ファトワが出るまでは自由な解釈で信徒はそれぞれに行動することができます。
 例えば、TAKA.Aさんご指摘のお酒について、コーランにおいて「信仰する者たちよ、酒と賭け矢と石像と占い矢は不浄であり悪魔の行いにほかならない。それゆえ、これを避けよ。きっとおまえたちは成功するであろう」(第5章第90節)として、飲酒を禁じています。しかし、コーランにおいてアルコールによる消毒は禁じていません。ハディースの中に「アルコールを用いた消毒はならぬ」と言った文句があるように私も聞いています。ただハディースは沢山の「偽物」もあり、それについてはウラマーや宗教指導者などによるある意味のお墨付きが必要であり、この点について、「アルコールを用いた消毒はならぬ」というファトワが出たとは聞いていません。この件についてもそうですが、ムスリムが自分の信仰心に基いて、自分で判断して行動する例は多々あります。
 この自由な判断による行動は、時としてその判断を他の信徒に押し付けたり、また「自由な判断をするとはアッラーに対してけしからん」という考えを持つ人もいます。そういった人々の中でも特にイスラーム当初の考え方に戻ろうとするのが「イスラム原理主義」です。この「原理主義」という思想はイスラムだけでなく、仏教にもキリスト教にも見られます。ある意味では宗教の純化運動の一つと言えます。しかし、原理主義はあくまでも信徒の考え方の一つであり、それが絶対的に正しいというわけではありません。
 と、いうことで長くなってしまいましたが、イスラームに関して言えば、必ず守らなければならない戒律以外の部分ではかなり自由な解釈と行動が許されています。ですからそういった意味では教義と現実の齟齬は起こりにくいかと思います。(アルコール消毒については、その人自身が信仰心から駄目だと思えば、それをしなければよいだけの話で、また他の人はそれはコーランの教えではないと思えば、現実に即してアルコール消毒をすればよいだけの話となります)しかし結局は神と信徒自身との関係性が全てでですので、私としてはストレスも不自由さも正直ありません。(実際、ムスリムでもお酒を飲んだり、豚肉を飲んだりする人もいます。不信心だという人もいますが、その人の判断でお酒を飲み、豚肉を食べていますし、その人自身にとってはそれで問題ありません。ただそれを神は見ていますが。)TAKA.Aさんのお友達がもし現在の宗教に不自由さを感じるのであれば、是非イスラームへの改宗をお勧めします。
 いずれにしても、宗教とのかかわりについて真剣に考えてらっしゃるTAKA.Aさんのことを神様はきっと見守って下さっています。
 インシャアッラー。
 

通報する

質問者 TAKA.A

2021.09.17

ホセイン様。丁寧なご回答ありがとうございました。必ず守らなければならない戒律以外にかなり自由な解釈と行動が許されている。現実的なものであること理解しました。宗教も人それぞれの判断によった行動があったとしても、信じる母体は揺るぎないですし問題はないこと、今回いただいた回答で確信しました。

関連する質問